大韓民国臨時政府 日本内地における活動

大韓民国臨時政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 14:37 UTC 版)

大韓民国臨時政府(だいかんみんこくりんじせいふ、朝鮮語ハングル表記: 대한민국 임시정부、朝鮮語チョソングル表記: 상해림시정부[1])は、1919年(大正8年)の日本統治時代の朝鮮で起こった三・一運動後、海外で朝鮮の独立運動を進めていた活動家李承晩呂運亨金九らによって、中華民国上海市で結成された朝鮮民族の組織である。中国国民党支援を受けるために国民党傘下に属し、軍事さえも1945年5月まで国民党の中国軍事委員会の下部組織であった。そのため、国民党と共に日中戦争勃発後は所在地を上海から重慶に移した。たえまない党派間の対立と連合を続けていたため、蔣介石や国民党が党派間の融和や指導を行っていた[2]。戦後の国共内戦後に中国国内では「光復軍中国共産党の支援を得て重慶に設立された」と改変されている[3]1945年アメリカ軍政庁により解体された。




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