大粛清 大粛清を逃れた者たち

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大粛清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 07:11 UTC 版)

大粛清を逃れた者たち

大粛清の犠牲者追悼と擁護論

ロシアの人権団体メモリアルは、連邦保安庁(旧KGB)本部前のルビャンカ広場に建立した追悼慰霊碑の前で犠牲者の名前などを読み上げる追悼式典を開いている[25]

2017年10月30日には、ロシア連邦政府による初の公式追悼碑「嘆きの壁」がモスクワに設置された。ウラジミール・プーチン大統領は「数百万人が亡くなったり、苦しんだりした。この悲劇を忘れないことが、我々の義務だ」と式典で挨拶した[26]

一方で、「こうした弾圧措置は道義的また倫理的には問題があったとはいえ、そのおかげでロシア・ソ連の近代化が成功した」として、この時期のスターリンの行動を肯定・正当化しようとする論者も存在している[27]。その根拠は、スターリンの時代を矛盾の時代だと定義することから出発している。

すなわち、ソビエト成立時の産業構造は農業主体であったが、本来であれば数十年をかけて工業化を進めるところを、農民を犠牲にした強制的な資本蓄積を図ることで産業構造の近代化を成功させた、というのである。

また、大粛清によって排除された高級将校は現代戦の知識に疎く、大粛清の後にはゲオルギー・ジューコフイワン・コーネフのようにそれを補う有能な若手将校が現れたと主張されることもある。

しかし、一般には、赤軍が熟練将校や指揮官の大半を失ったことが冬戦争独ソ戦での甚大な損害を招いたとされている。トゥハチェフスキーのような先進的戦略家らも犠牲になる一方で、冬戦争や独ソ戦争における失態から無能との悪評高いクリメント・ヴォロシーロフ騎兵を過大評価し戦車を軽視するセミョーン・ブジョーンヌイらは粛清を免れたことから、「現代戦の知識」よりも「党への忠誠」が重視された大粛清であった。

参考文献

  • ルドルフ・シュトレビンガー 『赤軍大粛清 20世紀最大の謀略守屋純
学習研究社、1996年 ISBN 4-05-400650-7
学研M文庫、2001年 ISBN 4-05-902041-9
  • ドナルド・キャメロン・ワット『第二次世界大戦はこうして始まった 上』鈴木主税訳 河出書房新社 1995年
  • 『ソ連秘密資料集 大粛清への道』大月書店 2001年
  • ドミトリー・ヴォルコゴーノフ『レーニンの秘密 下』白須英子訳 NHK出版 1995年
  • 『共産主義黒書 ソ連篇』外川継男訳 恵雅堂出版 2001年
  • ジョン・デューイ調査委員会編著『トロツキーは無罪だ! モスクワ裁判検証の記録』梓澤登訳 現代書館 2009年
  • O・フレヴニューク『スターリンの大テロル 恐怖政治のメカニズムと抵抗の諸相』富田武岩波書店 1998年
  • ノーマン・Ⅿ・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』根岸隆夫訳 みすず書房 2012年
  • 「世界大百科事典 第16巻」(平凡社



  1. ^ アーチ・ゲッティ・オレグ・V・ナウーモフ編「ソ連極秘資料集 大粛清への道」(大月書店)p.622参照
  2. ^ スティーヴン・F-コーエン、塩川 伸明 訳『ブハーリンとボリシェヴィキ革命―政治的伝記、1888-1938年』(1979未來社)p.421参照
  3. ^ ワット 1955, pp.171-172
  4. ^ a b ワット 1955, p.172
  5. ^ ワット 1955, pp.172-173
  6. ^ 「スターリンの大テロル - 恐怖政治のメカニズムと抵抗の諸相 -」(O.フレヴニューク、富田武訳、岩波書店、1998年)
  7. ^ 「新たにシベリア抑留と大テロルを問う:バイカル湖の丘に立ちて恒久平和を祈る」(石井豊喜、日本文学館、2008年)
  8. ^ Seventeen Moments in Soviet History
  9. ^ 「The great terror:Stalin's purge of the thirties」(Robert Conquest, 1968)
  10. ^ 「The voices of the dead: Stalin's great terror in the 1930s」(Hiroaki Kuromiya, 2007)
  11. ^ スターリン「党活動の欠陥とトロツキスト的およびその他の二心者を根絶する方策について」(共産党中央委員会総会報告、1937年3月3日)J.V. Stalin, Defects in Party Work and Measures for Liquidating Trotskyite and Other Double Dealers:Report to the Plenum of the Central Committee of the RKP(b), March 3, 1937
  12. ^ この時はまだヤゴーダ派の多くは引き続きNKVDの職務にあたっていた
  13. ^ 後に自らも粛清された際にエジョフは弁論の中で「私は1万4000人のチェキストを粛清しましたが・・・」などと述べている
  14. ^ また一説によると実際に1937年の春から夏ころにかけてトハチェフスキーを国家元首にかついでスターリンを追放しようという陰謀が正統派コミュニスト・党官僚・軍人らの間であったという説もある(クルボーク事件)(亀山郁夫著『大審問官スターリン』(小学館)p.160)
  15. ^ a b c 「『外敵つくり団結』変わらぬ露―1937年『エジョフ機密書簡』が示すもの」、産経新聞2014年11月20日号8面。
  16. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、12 May 2017 11:49:27 UTC閲覧。
  17. ^ Victims of the Soviet Penal System in the Pre-war Years”. sovietinfo.tripod.com. sovietinfo.tripod.com. 2020年8月29日閲覧。
  18. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、12 May 2017 11:53:55 UTC閲覧。
  19. ^ 「陰謀説の嘘」デビッド・アーロノビッチ著、佐藤美保・訳、PHP研究所2011年
  20. ^ ヤルタ会談の際にもスターリンは「やつら(日本人全員を指す)はどうせまた這い上がってくる」というコメントを残している。
  21. ^ a b 昭和十三年の国際情勢(一九三八年) P.331- 赤松祐之 1939年
  22. ^ 明と暗のノモンハン戦史 秦郁彦 2014年
  23. ^ [1]
  24. ^ [2]
  25. ^ スターリン大粛清80年、ロシアで追悼式毎日新聞 (2016年11月1日)
  26. ^ 「スターリンらの粛清、追悼碑 モスクワで完成式典」『朝日新聞』朝刊2017年11月1日
  27. ^ 外部リンク webcache.googleusercontent.comからのアーカイブ、12 May 2017 12:06:12 UTC閲覧。
  28. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01003869100、昭和04年「密大日記」第3冊(防衛省防衛研究所)」 標題:機密費使用に関する件




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