大審院
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不祥事
- 1892年(明治25年)- 6月、磯部四郎、法曹会会長である大審院長児島惟謙のほか大審院判事6名が向島の色町で花札賭博に興じたとして児玉淳一郎に告発され、判事懲戒法に基づき、時の検事総長松岡康毅に懲戒裁判を申し立てられた。翌月には証拠不十分により免訴されたが、同年8月、児島は責任を取る形で大審院を辞職した(司法官弄花事件)[12]。
主な関連文献
- 司法省『大審院民事判決録』1876年 - 1884年。
- 司法省・東京法学院『大審院判決録』1891年 -1899年。
- (発行人不明)『大審院刑事判決抄録』1891年 - 1921年。
- 司法省『大審院刑事判決録』(第1集 - 第27集)1895年 - 1921年。
- (発行人不明)『大審院民事判決抄録』1898年 - 1921年。
- 法曹会『大審院民事判例集』(第1巻 - 第25巻)1922年 - 1946年。
- 法曹会『大審院刑事判例集』(第1巻 - 第26巻)1922年 - 1947年。
脚注
参考文献
- 山本祐司『最高裁物語(上)』講談社+α文庫、1997年。ISBN 9784062561921。
- 百瀬孝『事典 昭和戦前期の日本―制度と実態』吉川弘文館、1990年。ISBN 9784642036191。
- 萩屋昌志『日本の裁判所』晃洋書房、2004年。ISBN 9784771016026。
関連項目
- 最高裁判所
- 司法省 (日本)
- 判例
- 最高裁判所 (日本)
- 松江騒擾事件 (大審院で裁かれた最後の事件)
注釈
出典
- ^ NHK放送文化研究所編『ことばのハンドブック 第2版』では放送上の表現としては「だいしんいん」ではなく「たいしんいん」と読むと解説されている(NHK放送文化研究所編 『ことばのハンドブック 第2版』 p.122 2005年)
- ^ 旺文社日本史事典 三訂版 (コトバンク) 大審院
- ^ 裁判所法施行法(昭和22年4月16日法律第60号) - e-Gov法令検索、第2条
- ^ 裁判所法施行令(昭和22年5月3日政令第24号) - e-Gov法令検索、第1条
- ^ 元老院大審院ヲ置キ式部寮ヲ宮内省ニ附シ左右院ヲ廃ス(『法令全書 明治8年』、81-82頁。NDLJP:787955/102。)
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)小学館 (コトバンク) 大審院
- ^ 百瀬孝 1990, p. 54.
- ^ a b 百瀬孝 1990, p. 55.
- ^ 櫻井孝一「上訴制限」『講座民事訴訟法』(7)、新堂幸司編、弘文堂、1985年、85頁。“アーカイブされたコピー”. 2004年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月21日閲覧。
- ^ 『官報』第2328号、明治24年4月8日。「彙報」故西大審院長履歷。
- ^ a b c d e f 野村二郎『日本の裁判史を読む事典』
- ^ 法務省「歴史の壺」《法務資料展示室便り 第21号》。2022年3月2日閲覧。
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