塚田泰明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 01:08 UTC 版)
人物
- 左利きであり、左手で駒を持つ。
- 妻は女流棋士の高群佐知子、娘は女流棋士かつ弟子の塚田恵梨花。娘の恵梨花からみて両親が棋士と女流棋士というのは、将棋界初で唯一である[3]。恵梨花は2023年10月開始の第4期より女流順位戦A級に在籍しているが、父と娘が揃って順位戦(女流順位戦)A級在籍経験者となるのも将棋界初である。高群との結婚の前、二人で極秘に沖縄旅行に行ったが台風で久米島から帰れなくなり、テレビ収録の仕事を二人ともキャンセルした[4]。交際が公になっていなかったため二人は連盟に別々に連絡し、高群が電話で沖縄にいる旨を伝えた一方、塚田は沖縄と言うとバレてしまうので「いま南の島にいます」と電話したが、結局交際が発覚した。この一連の出来事は「南の島事件」と呼ばれ、棋界の人間を招いた結婚式でも披露された。
- 師匠の大内にはNHKテレビテキスト将棋講座2012年5月号で「おしゃれな子だった」と入門時の第一印象を述べられていた。
弟子
棋士となった弟子
名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
---|---|---|
藤森哲也 | 2011年10月1日 | 五段 |
(2017年3月24日現在)
女流棋士となった弟子
名前 | 女流2級昇級日 | 段位、主な活躍 |
---|---|---|
塚田恵梨花 | 2014年10月1日 | 女流二段、A級在籍1期 |
(2023年7月3日現在)
対局・解説に関する逸話
- 弟子の藤森哲也が、2011年10月1日付で四段に昇段。それから1年8ヶ月後に行われた第85期棋聖戦一次予選2回戦で藤森との「師弟対決」が実現、128手で後手の塚田が勝ち、師匠としての貫禄を示した。
- 師匠の大内とは1985年から1999年まで延べ8回対戦し、3回“恩返し”を遂げた。
- 2004年6月20日にNHK教育テレビ(現Eテレ)で放送された第54回NHK杯1回戦で豊川孝弘六段と田村康介五段(段位はいずれも当時)の対戦を解説。聞き手の女流棋士千葉涼子と大盤で今後の戦術を話していた最中、豊川が二歩の禁じ手を犯してしまった。塚田はその着手を確認するや否や「打っちゃったよ、打っちゃった」と困惑した口調で発言した。尚、当対局は「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」や「マツコ&有吉の怒り新党」という、将棋をテーマとしないテレビ番組でも取り上げられ、当該映像では塚田の声も確認できる。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
- 1978年 4級 = 奨励会入会
- 1979年 初段
- 1981年3月5日 四段 = プロ入り
- 1983年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1985年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
- 1987年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
- 1988年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
- 2000年12月15日 九段(勝数規定)
注釈
出典
- ^ 「棋士に聞く本音対談 塚田泰明九段×中村修九段 55年組とは何だったのか?」『将棋世界』、日本将棋連盟、2013年8月、100頁。
- ^ “昇段・引退・休場棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2022年4月1日閲覧。
- ^ “両親がともに棋士ってどんな家庭? 「父とは指したことがない」という塚田恵梨花女流初段に聞いてみた”. 文春オンライン (2020年3月13日). 2021年11月17日閲覧。
- ^ “コラムの森 早指し将棋妙手奇手・アナウンサー島田良夫氏(2012年7月12日付アーカイブ)”. NIKKEI NET 将棋王国 (2003年3月20日). 2012年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月17日閲覧。
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