堀晃
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略歴
- 1944年 - 兵庫県龍野市に生まれる。
- 淳心学院高校在学中より同人作家となる。1961年[1]、SF同人誌『NULL』『宇宙塵』に参加。
- 1964年、大阪大学基礎工学部機械工学科入学[2]。大学ではSF同人誌『パラノイア』やSFファンジン『タイムパトロール』を刊行している。
- 1969年[3]、大阪大学基礎工学部卒。繊維メーカー勤務。
- 1970年 - 短編『イカルスの翼』が『SFマガジン』6月号に掲載(商業誌デビュー)。この後、4年間、学習雑誌への数篇を除き、作品の発表なし[4]。
- 1974年 - 復刊した『NULL」に参加して作品を発表。ネオ・ヌルの例会でかんべむさしと知り合う。京都で開催された日本SF大会「MIYACON」の名誉大会委員長となる[5]。
- 1976年 - 『SFマガジン』4月号に『暗黒星団』が掲載され、作家活動を再開する[6]。日本SF作家クラブ会員となる[7]。
- 1981年 - 短編集『太陽風交点』で第1回日本SF大賞を受賞。この受賞にあたっては、小松左京の強い推薦があった。だが、この作品の文庫化に際して、早川書房との間で『太陽風交点』事件と呼ばれる訴訟が起きた。裁判は泥沼となり、堀は勝訴したが、作家としての本格的な活動開始時期に、大きな痛手となった。堀はいまだに、早川書房と、当時の『SFマガジン』編集長今岡清、そして、その訴訟に関わった弁護士五十嵐敬喜を許しておらず、「早川書房から発行された本は、以降、一切買わない(読む場合でも自分では買わない)」という道を貫いている。
- 1989年 - 唯一の長編『バビロニア・ウェーブ』で第20回星雲賞日本長編賞を受賞。
- 1994年 - SF同人誌『SOLITON』を主宰する。
- 1996年 - 『SOLITON』がSFファンジン大賞を受賞。
- 1997年 - SFファン活動における功績により柴野拓美賞を受賞。
- 1998年 - 『SOLITON』8号で終刊。同年、『SOLITON』は二度目のSFファンジン大賞を受賞。
- 2007年 - 世界SF大会・NIPPON2007での企画「サイエンスとサイエンスフィクションの最前線、そして未来へ!」に参加。
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