坂本天山 坂本天山の概要

坂本天山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/24 02:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

高遠藩士・坂本運四郎英臣の長男として高遠城下の荒町に生まれる。明和5年(1768年)、大坂の荻野照良に砲術を学び、帰郷して『銃陣詳説』などを著す。同7年(1770年)に藩主内藤頼由参勤交代に随行して江戸に出府し、荻生徂徠門下の大内熊耳に入門し復古学を修める。のち荻野流を研鑽して「荻野流増補新術」として「周発台」を発明し、自藩の砲術に採用された。天明3年(1783年)から藩の郡代も務め、治山治水に努めたが、反対派のために失脚し、三年間蟄居閉門となった。

のち脱藩して大坂彦根藩長州藩大村藩などで砲術と儒学を教授し、享和2年(1802年)、平戸藩松浦清から招待され藩士の教育にあたった。同3年(1803年)長崎で病没。『紀南遊嚢』などの漢詩集を残した。

1915年(大正4年)に従五位を遺贈された[2]。孫娘の桂が島崎重韶(島崎藤村の祖父)の後妻となった[3]

参考文献

  • 『坂本天山先生遺墨集』(信濃偉人遺墨顕彰会、1933年)
  • 『三百藩家臣人名事典 3』(新人物往来社、1988年)
  • 角憲和『阪本天山―信州高遠の生んだ明治維新の先覚者』(岳風書房、2000年)

  1. ^ 「阪本」表記も
  2. ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.37-39
  3. ^ 「人づくり風土記 長野」1988年 組本社


「坂本天山」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂本天山」の関連用語

坂本天山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂本天山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂本天山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS