初期仏教 初期仏教の歴史

初期仏教

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初期仏教(しょきぶっきょう、: Early Buddhism)とは、根本分裂による部派仏教成立以前、釈迦が生きていた時代を含む初期の形態をいう[1]


注釈

  1. ^ 「余すところなく無に帰する無余涅槃」は、当初、ゴータマはこれを追及していた。そのことを考えると、「無余涅槃に入るという見解は偏見である」という言葉は、自身の過去の体験を否定し、過去の自分は偏見に満ちていたと、省みている風に読み取れる
  2. ^ ゴータマの教えは、その全体が善き友を持つことによる継続的な八正道の実践を目指すものであった。それと同時に、指導者自らも、善き友となるように努めてゆく実践的で全人格的性質を持ったものであった、とする見解がある。『2つの扉』 三宝出版 2022年 P143 高橋佳子
  3. ^ 神々(複数形)というのは、この個所では、死んであの世に行った人間のことを指している
  4. ^ たとえ自分が仏を裏切ったとしても、善友となった仏のほうで、友を見捨てないという見方をしていたと、考えられる。(出典蛇喩経
  5. ^ 禅宗などにおいては、根本的な悟りを得ることを大悟するという宗派もあれば、大吾を否定し、日常修行そのものが大悟であるとする宗派もある。
  6. ^ 「悟り」には、「悟り」と、「本来的な悟り」とされるものの二種類がある、とする見解がある。一般的には、「宇宙即我の悟り」とも呼べる「大悟」というものを「悟り」と呼んでいる。「本来的な悟り」とは、日常生活において自分が気づいた欠点を修正し、その正した事柄が無理なく行えるようになることであり、これへと精進し続けることを「悟り」とする、という見解がある。(出典『心眼を開く』 三宝出版 1974年 新装改訂版 P231 高橋信次)
  7. ^ 過去七仏はすでに「消滅」の内に没入しているので、この世への働きかけはないためである(出典『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店 1982年 P111 中村元)
  8. ^ 諸仏の教えがいつからのものであるかについての記述はない。しかし、ゴータマの回想によると、ゴータマには、「7回の宇宙期に存在した記憶」があるということである。そのため、「諸仏の教え」は、そのうちのいずれかの宇宙期より伝承されてきたものであるかのようにも考えられる。仮にもし、この宇宙期に起源をもつものであるとすると、「諸仏の教え」は、「超古代文明を生きた仏」の教えであるということができる。プラトンが記述したアトランティス大陸などにも、古代文明を生きた賢者が、「変わることのない宇宙の真理」を悟っていたとする見解もある。(出典『心の原点』新装改訂版 三宝出版 1973年 P51 高橋信次)。また、さらに、「諸仏の教え」が、「この宇宙期以前の仏の教え」であるとするならば、それは「超宇宙期の仏の教え」であるということができる。そのため、初期の仏教においては、「変わることのない宇宙の真理」とは、超古代文明をさらに超えた文明に生きた「諸仏たち」が悟った理法であると見ることができる。また、ゴータマは、過去・現在・未来の人類の心を見通せるということであるので、諸仏の教えは未来にその発生の源を持つというふうに見ることもできる
  9. ^ また、「正しい教え」というものが、「八正道」を包含するものであるとするならば、修行者が善悪についての考察を離れることは、道から外れる可能性が大きいといえる。
  10. ^ なお、悟りの内容を記したいくつかの経文には、以下のことがらについて書かれているものは、数少ないです。それは、「神の存在」や、「人格的な面を持つ理法」や、「悟りの時に出起してくる道」や、「宇宙の真理」など。これらについてです。このことが意味しているのは、ゴータマにとっては、神秘的で直感的な事柄については、弟子への説話の中で、これを説く機縁にある弟子があまりいなかった、ということである。
  11. ^ 仏教では、戒名ということをするが、これもその一種であるといえる
  12. ^ これまで人間は、万生万物の根源としての「一なるもの」を以下のように呼びならわしてきた、とする見解がある。それは、「神」、「仏」、「万古不滅の法」、「実在」、「宇宙意識」、等々についてである。(出典『人間の絆 嚮働編』祥伝社 1991年 P34 高橋佳子)
  13. ^ そのことはいつ頃からかについて、ゴータマは、語ってはいない。しかし、衆生済度にかかわる話であるので、慈悲の教えを説かずに消滅のうちにあるとされている過去七仏以前の太古の話であると思われる
  14. ^ 「ブッダは慈悲心ありとしている仏弟子」は、「さとりの道を究めてゆく修行者」であるといえる。そして、それ以外の修行者とは、「余すところなく無に帰する無余涅槃」を求めていた修行者であったと考えられる
  15. ^ ゴータマが在家の時に成就した初禅の前提としては、以下の六つほどがあった。①「もろもろの悪についての見解」、②「止観(自分の心を止めて観ること)」、③「八正道」についての考察、④「諸仏についての信頼」、⑤「慈悲の教え」を学びたい、という目的(めつ)、⑥「マラーの誘惑」についての考察、などがあった
  16. ^ 後代になって、菩薩とは、菩提(悟り)を求める衆生を意味するようになった(出典 岩波仏教辞典 P922)
  17. ^ そのため、すでに過去世において、あと三回生まれるだけで(ないし五回生まれるだけで)悟りを開く段階にある人については、生まれた時から「聖者の流れの中にいる人」であると解釈できる。
  18. ^ 心眼が開くと、「世界の主」とされる存在は、すべての衆生の指導者であることがわかるとする見解がある(出典『心の原点』三宝出版 1973年 P68 高橋信次)。
  19. ^ また、かの修行者(モッガラナー)は大梵天のごとくであり、観自在である(『仏弟子の告白』1181)、という言葉があります。しかし、モッガラナーは、慈悲については語っていない。そのため、モッガラナーは、超能力に関してのみ、大梵天と同じくらいの能力を有していたと解釈できる
  20. ^ 「諸仏の教え」がいつからのものであるかについての記述はない。しかし、ゴータマの回想によると、7回の宇宙期の記憶があるということであるから、そのうちのいずれかの宇宙期より伝承されてきたものであるかのようにも考えられる。仮に、現在の宇宙期に起源をもつものであるとすると、諸仏の教えは、超古代文明を生きた仏の教えであるということができる。超古代文明というと、プラトンが記述したアトランティス大陸などがある。アトランティス大陸などをはじめとして、それぞれの古代文明を生きた賢者は、「万古不滅のダルマ」を悟っていたとする見解もある[92]。また、さらに、「諸仏の教え」が、この宇宙期以前に存在した宇宙期の仏の教えであるとするならば、それは超古代文明を超えた、「超宇宙期の仏の教え」であるということができる。また、ゴータマは、過去・現在・未来の人類の心を見通せるということであるので、諸仏の教えは未来にその発生の源を持つというふうに見ることもできる。
  21. ^ 地獄は自分の想念の世界でもあるとする見解がある。真創世記 地獄編 祥伝社 1977年 P136、P150
  22. ^ 内的世界においては、悟り以前の段階として、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の心の状態を、各人の心が六道輪廻している、とする見解もある。(出典『GLA誌 2005・10』人天経綸図解義の項 GLA総合本部出版局 2005年 P16 高橋佳子)
  23. ^ 悟りの道から脱落した人が、地獄から抜け出るためには、生前の自らを悟り、自分は梵天の世界に生まれてはいない、ということを悟ることが外的な地獄を抜け出るきっかけとなる、ということができる。諸仏の教えと、仏との善友ということが、地獄脱出の要になっているといえる。地獄に落ちる要因となった己の悪行を省みて(もろもろの悪をなさない)、自分自身の心の在り方を止観し(自らの心を浄くする)、善いことをなそうとすることが、内的な地獄を抜け出ることにつながり、仏との善友の絆をつなぐことになる、と見ることができる
  24. ^ ウパニシャッドの言葉であっても、現存パーリ仏典よりも内容や言葉はかなり古いものをうけている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P136 中村元
  25. ^ 梵我一如を体得した古仙人たちの歩んできた道を歩んだとされるゴータマには、宇宙の真理を悟った人が説法をするという自覚があったのだけれども、その悟りの内容は、四諦という言葉によって体系化されているという状況にあるようである。岩波仏教辞典第二版P371
  26. ^ 無我とは、アートマンが存在しないのではなく、我でもないものを我とみなしてはならないという考え方であり、「われという観念」、「わがものという観念」を排除しようとしたのである。(中村元著『佛教語大辞典』より) 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P20無我の項目上村勝彦
  27. ^ ゴータマは、百千の転生の思い出と、何回かの宇宙期のことを回想したとされている(出典『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P107 中村元)
  28. ^ 過去七仏以前の太古の文明に起因する回想として、真の覚者の下には賢者がいる、ということをゴータマは語った。そのことは、いつ頃から始まったのかについては語られてはいない。それは、複数回の宇宙期以前の回想であるとされる。
  29. ^ 人は悟ると、過去の転生を思い出すという見解がある。『心の発見 科学編』新装改訂版 三宝出版 1966年 P27 高橋信次
  30. ^ 宇宙の始まりについて説いた神観は、グノーシス思想と思われるエウグノストスにも記されている。しかし、ゴータマの回想する宇宙期については、ウパニシャッドにも、見当たらない。また一方では、人は悟ると何兆年にわたる記憶を回想することができる、という見解がある。(出典『心の発見現象編』新装改訂版 三宝出版 1968年 P123 高橋信次)
  31. ^ ゴータマはここで、人間のうちに存する霊的なものを考えていた。『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P395  注875 中村元
  32. ^ アートマンと同じように、霊魂についても、悟りを得た時にはじめて清められる(真人的なもの・実存的なものとなる)とされるならば、肉体という窟にとどまる実体のない非我のようなものが、忍土の中で、内外からくる無明の闇にのまれている、というように見ることができる。
  33. ^ 悟りというものを宇宙原理たるブラフマンと真の自己との合一という観点から見た場合、小宇宙的概念としての内的世界(真人としての我)が、大宇宙の根本原理と合一すると言い換えることもできそうである。
  34. ^ 肉体的な執着から離れた境地となり、意識が調和されるにしたがって、水が水蒸気になって拡大してゆくように、もう一人の我というものが拡大していって宇宙と一如と感じられるようになってゆくことを悟りとする説もある。内的宇宙が拡大して外的宇宙と合一することが佛への転換点であるとされている。『心の原点』新装改訂版 三宝出版 1973年 P26 高橋信次
  35. ^ この宇宙の前には、幾多の宇宙の生成と消滅があり、それらの幾多の宇宙期における歴史と、そこにおける自らの一々の百千の生涯について思い起こすことができるようになったとされる。
  36. ^ 諸々の汚れを滅する智は、自らが清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れない状態で生じたものであるので、この世に生きる諸々の生存者の諸々の汚れを滅することのできる智と見ることが出来る。
  37. ^ そのことについて見た場合、第三の明知と、過去現在未来にわたる阿羅漢について、心に関して、心でもって知る、という智慧には、共通する部分があると言える。
  38. ^ 無所有処や非想非非想の思想については、他の仙人が説いた教えではなく、もともとは仏説であった、とする見解がある。(出典『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 P723 第36経の注4  春秋社2004年 中村元監修)
  39. ^ 想念には外界にあまねく存在するものと、内界の様々な想念があるとする。マーラのわなは、外界と内界の両方にあるといえる。非想非非想の思想と、悪魔のわながつながりがあると見るならば、「解脱」という語は、マーラの眼から逃れるという観点から見た「悟り」であると見ることができる。 外界から内界に向かってゆく想念と、内界から外界に向かってゆく想念とがあり、その想念の動きを止めたところに、空間(物質的な宇宙)の無限や、意識の無限(ブッダの体感する過去現在未来の意識主体の総和)を体感し、そこに住する境地に至ることができるとされている。
  40. ^ 正見というものから離れるので、諸仏の教えというものからも、離れてゆくことになる。
  41. ^ これは、宇宙期についての明知にあたるようだ。
  42. ^ マハーカッサバは、比丘が衆人と交わるのを戒めた。ゴータマは、衆人済度のために遊行を何十年もしたが、マハーカッサバは、岩登りをしていたとされる。『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P284 1058の注
  43. ^ これは、諸々の衆生意識についての明知にあたる。
  44. ^ これは、「なにも持たない」ということであるとする経文もある。「なにも持たない」ということは、煩悩を滅することと関係があると思われるので、これは、もろもろの汚れを滅ぼす智に関係がある。
  45. ^ これは、「生は尽きはてた」という言葉に関係があるようである。「闇黒は消滅して、光明が生じた」というブッダの言葉から推察すると、非想非非想の状態に、光明のみが感じられるということである。
  46. ^ 第85経や聖求経には、想受滅と思われる境地に至り、教えを説く意欲の亡くなったゴータマに、世界の主であるブラフマー神が、慈悲利他の境地に誘ったことが伝えられている。世界の主は、このままだと世界は滅びる方向に向かってしまう、と言ったとされている。考えてみると、無余の涅槃にとっては、宇宙には生成する時期もあれば、滅びる時期もある訳であるから、それはどちらでもいいわけである。世界の主の放った言葉のうちには、想受滅の解脱とは異なった次元に、諸仏の慈悲を衆生に説く境地があったことがうかがえる。
  47. ^ 修行過程における大悟の時期については、空無辺(物質宇宙空間の無限性や宇宙期の把握)や、意識無辺(過去現在未来の全体における無限の意識主体の総和の認識)の解脱を達成したあたりであると推察される。悟りに対する解釈がさまざまに異なるのは、無余涅槃を求めるグループと有余涅槃のうちにとどまるグループとに「大悟」と呼ばれる悟りが共通している感覚であるためであると考えられる
  48. ^ 無余涅槃を求める初期の修行者にとっては、「もはや輪廻の範囲に戻ってくることのない境地」というのは、理想の境地とされていた。これは後代においての不還とは異なっている。(出典『ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤⅠ』岩波書店 1986年 P257の注3 中村元)。これに対して、世界が成立しつつあるときの極光浄天というのは、有余涅槃で考えられるニルバーナの世界と同質の世界であると推察される。

出典

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  114. ^ 原始仏典II 相応部第一巻P484第8篇注80 中村元ほか
  115. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P152松本照敬
  116. ^ 『仏教語源散策』中村元編 1977年東京書籍P234松本照敬
  117. ^ a b 『世界の名著1 バラモン経典 原始仏典』中公バックス 昭和54年 P22 インド思想の潮流の項目 長尾正人 服部正明
  118. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P113 中村元
  119. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P118 中村元
  120. ^ いずれにしても宇宙の真理としての最高原理とゴータマの悟りとの間には深いつながりがある、と見ることができる
  121. ^ 『ブッダ最後の旅』岩波文庫 2001年 P28 中村元
  122. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店 1986年 P228 中村元
  123. ^ 『ブッダ 悪魔との対話』岩波書店 1986年 P306の注 中村元
  124. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P113  中村元
  125. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P144 中村元)
  126. ^ 『ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤII』岩波書店1986年P339第VI編第1章第2節注8中村元
  127. ^ 岩波仏教辞典第二版P901
  128. ^ a b 『仏弟子の告白 テーラガーター』岩波書店1982年 P252注303 中村元
  129. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P248 第1篇第3章第5節注 中村元
  130. ^ 『ブッダ 神々との対話』岩波書店1986年P250 第1篇第3章第9節の注 中村元
  131. ^ スッタニパータ 772
  132. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店1984年 P379  注772 中村元
  133. ^ スッタニパータ 478
  134. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P136 中村元
  135. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P144 中村元
  136. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P7 中村元
  137. ^ 『ブッダ入門』春秋社1991年 P113 中村元
  138. ^ ここで四諦に関連して書いてあることは、後世の付加であるとされている。『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館1958年 P105 中村元
  139. ^ 『ブッダ最後の旅』 岩波文庫P205注29 中村元
  140. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』P596 第1篇注60 春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳
  141. ^ 『ブッダ最後の旅』 岩波文庫P204注28 中村元
  142. ^ 『原始仏典II 相応部経典第2巻』 第1篇P600注88  春秋社2012年 中村元監修 前田専學編集 浪花宣明訳
  143. ^ 『尼僧の告白』1982年岩波書店P36中村元
  144. ^ 『ブッダのことば スッタニパータ』岩波書店 1984年 P260の注54 中村元
  145. ^ 『仏典を読む1 仏陀の生涯』岩波書店 2017年 P50 中村元(前田専學 監修)
  146. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P104 中村元
  147. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P120 中村元
  148. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経 猟師と鹿の群れ-猟師経 P379 春秋社 2004年 中村元監修 羽矢辰夫訳
  149. ^ 『原始仏典第4巻 中部経典Ⅰ』 第25経は、無余涅槃を求める出家者に対して解かれた経文のようで、「闇黒は消滅して、光明が生じる」等の、梵天勧請以後の境地について、欠落している。想受滅の状態で考えられる心境は、光を受信する心の働きをも滅した闇の感覚や、光を感じる光明の感覚、この世の主などの霊的存在を感じる光明の感覚、などである。
  150. ^ 『ゴータマ・ブッダ 釈尊伝』法蔵館 1958年 P329 中村元
  151. ^ 『仏弟子の告白』岩波書店 1982年 P292 の注 中村元
  152. ^ Cousins, L.S. (1996); Buswell (2003), Vol. I, p. 82; and, Keown & Prebish (2004), p. 107. See also, Gombrich (1988/2002), p. 32: “…[T]he best we can say is that [the Buddha] was probably Enlightened between 550 and 450, more likely later rather than earlier."
  153. ^ Williams (2000, pp. 6-7) writes: "As a matter of fact Buddhism in mainland India itself had all but ceased to exist by the thirteenth century CE, although by that time it had spread to Tibet, China, Japan, and Southeast Asia." Embree et al. (1958/1988), "Chronology," p. xxix: "c. 1000-1200: Buddhism disappears as [an] organized religious force in India." See also, Robinson & Johnson (1970/1982), pp. 100-1, 108 Fig. 1; and, Harvey (1990/2007), pp. 139-40.


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