八代城 城主一覧(城代家老)

八代城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/06 07:55 UTC 版)

城主一覧(城代家老)

松井興長以後は熊本細川藩の筆頭家老である松井氏が城代を世襲した。

関連文書

書籍
  • 『八代市史』第4巻 八代市教育委員会、蓑田田鶴男、1972年
  • 『よみがえる日本の城12 熊本城 八代城 人吉城 麦島城 他』学習研究社、2003年
  • 『八代城』八代市立博物館未来の森ミュージアム編、  八代市立博物館未来の森ミュージアム、2004年
  • 『中世・戦国・江戸の城』新人物往来社、2004年
  • 『【決定版】図説 よみがえる名城 白亜の巨郭 徳川の城』学習研究社、2006年
  • 『【決定版】図説「城と陣屋」総覧 東国編・西国編』三浦正幸 編、学習研究社、2006年
  • 『定本 熊本城』富田紘一 編、郷土出版社、2008年
  • 『歴史読本』2008年5月号「織田・豊臣の城を歩く」新人物往来社、2008年
論文・報告書等
  • 『八代城跡 石垣修復工事報告書 第三回』八代市教育委員会、1981年
  • 『八代城跡 石垣修復工事に伴う発掘調査・工事報告書 第四回』八代市教育委員会、1982年
  • 『熊本史学』83・84号「肥後における織豊系城郭研究の課題 -近年の城跡調査と麦島城の調査から-」山内淳司 著、熊本大学、2004年
  • 『古麓城跡・麦島城跡・八代城跡』(八代市文化財調査報告書第29集)山内淳司 編、八代市教育委員会、2006年
  • 『中世八代城・織豊期八代城・近世八代城について -発掘調査を中心に』山内淳司 著、熊本中世史研究会、2008年
  • 『八代城跡ー八代市指定史跡永御蔵跡ー』九州文化財研究所編、八代市文化財保護委員会永御蔵発掘調査団、2014年
  • 『国史跡「八代城跡群 古麓城跡 麦島城跡 八代城跡」八代城跡保存修復報告書』八代市経済文化交流部文化振興課編、八代市、2018年
  • 『史跡『八代城跡群 古麓城跡 麦島城跡 八代城跡』・名勝『旧熊本藩八代城主浜御茶屋(松浜軒)庭園』保存活用計画』八代市経済文化交流部文化振興課編、 八代市、2018年 
  • 『八代城跡 建設工事に伴う埋蔵文化財発掘調査』有明測量開発社編、大英産業株式会社、2019年 
  • 『八代城跡二の丸 1 平成28年熊本地震で被災した八代市役所本庁舎の建替えに伴う埋蔵文化財発掘調査』八代市経済文化交流部文化振興課編、八代市教育委員会、2020年
  • 『麦島城跡 八代更生病院病棟建設に伴う埋蔵文化財発掘調査』九州文化財研究所八代営業所編、山田会八代更生病院、2020年  

脚注


  1. ^ 磯田正敬 1884
  2. ^ a b 石垣に白い石を用いたことから[1]
  3. ^ 当時は城の西は干拓されておらず、不知火海(八代海の異称)が外郭のすぐ近くまで来ていたため、不知火城とも言った。
  4. ^ a b 平成26年3月18日文部科学省告示第30号。指定区域には、麦島城の瓦を製造していた平山瓦窯跡(八代市平山新町)も含まれる。
  5. ^ 地名。松江町。
  6. ^ 国の史跡指定に伴い、熊本県の史跡としての「八代城跡」と「平山瓦窯跡」の指定は解除された。(参照:八代市の指定文化財一覧
  7. ^ 熊本県八代市奈良木町にあった。現在の奈良木神社の近く。古麓城との位置関係は球磨川の対岸にあたる。
  8. ^ 萩原堤は球磨川の湾曲部から八代城を一回りして北の丸まで続く長い堤防。名和・相良氏が築いたものを加藤氏が延長した。
  9. ^ 長男加藤忠正疱瘡を患って八代で死去した。
  10. ^ 麦島城時代にすでに一国二城体制が特別に許されており、島原の乱を契機とするキリシタン弾圧の備えとは、後付けされたものであろう。
  11. ^ 他方で、加藤時代の慶長年間にキリシタン弾圧と改宗の強制が大規模に進められたのは事実で、熊本加藤藩の負の歴史である。隠れキリシタンは隣藩の相良藩でも多く見られ、隠れキリシタンの墓が各所に残っている。
  12. ^ 松井康之織田信長によって細川藤孝の与力とされた時に山城国相楽郡160石の所領を与えられており、松井氏はそれを保持して秀吉、家康と代々安堵されていて、旗本としても徳川家に代々仕える立場だった。
  13. ^ 建物以外にも、石垣の修復が数回行われており、熊本県立図書館永青文庫(熊本大学附属図書館寄託資料)に絵図が所蔵されている。現在でも、月見櫓跡石垣等で、修復の痕跡を見ることができる。
  14. ^ 『宮地郷土史読本』p.195
  15. ^ 外から見ると四層であるが、内面が五層構造のため、地階つきで5層6階、大天守を五層とも表現する。
  16. ^ 高さ36尺、東西66尺、南北75尺。
  17. ^ 高さ32尺、東西29尺、南北43尺。
  18. ^ 八代市役所の真横から入る小さい入口が八代城の本来の正門。欄干橋はもとは木造の太鼓橋であったが、現在はコンクリート製の平坦な橋となっている。
  19. ^ 現在は廊下橋はなく、八代宮の北参道神橋がある。
  20. ^ 敷地は旧八代総合病院(現熊本総合病院)のあった場所。
  21. ^ 現在の市庁舎は旧八代高校敷地でその前がこの郷校があった。
  22. ^ 興長は藩主の姓である長岡姓を賜り、以後代々長岡も名乗った。
  23. ^ 明治になって松井姓に復している。


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