亀渕友香
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 13:59 UTC 版)
略歴
1944年、北海道札幌市に生まれる[3]。その後、東京で育つ[4][5]。実兄はニッポン放送の名物DJで後に同社社長・相談役を歴任した亀渕昭信。叔母はジャズシンガーだったという[6]。
小学校の時、マヘリア・ジャクソン出演映画『真夏の夜のジャズ』を観て彼女の歌声に衝撃を受け涙を流す。以来サッチモ、ゴールデン・ゲイト・カルテット、アレサ・フランクリンなど、ゴスペルミュージシャンをヒーロー&ヒロインとし、ブルース、ジャズ、アフリカン音楽に至るまでの黒人音楽を聴きながら成長。
東京声専音楽学校オペラ科に在学中にミュージカルに出演しプロとして活動を開始し、大学は中退し1968年にR&Bグループ「リッキー&960ポンド」のボーカルとしてデビューする[7][8]。1980年、米国人と結婚のため渡米。1987年に帰国し離婚後、音楽活動を再開。ジャズライブ、ミュージカル、映画音楽、テレビ出演などの活動をしながら、ボイストレーナーとしても多くのミュージシャンを手がける。1993年、ゴスペルを主とするコーラスグループ「亀渕友香&VOJA(The Voices of Japan)」を結成。その後もライヴ、コンサート活動、アーティスト楽曲コーラス、TVバックコーラス、小中高校での芸術鑑賞会、特別支援学校(養護学校)でのライヴなど、幅広く活動してきた。2008年には「第1回・野口英世アフリカ賞」の授賞式および記念晩餐会で、上皇明仁・上皇后美智子夫妻や歴代の内閣総理大臣、アフリカ各国の大統領や国王の前で演奏。2009年より、ソロライヴ活動を再開。ジャズスタンダードや、アコースティック編成など様々なジャンルでライヴ活動を行った。
1998年から2006年まで「VOJAコーラスアカデミー」の学長を務めた。2007年には名称を変え、「VOJA Voice Art College」を開校し学長を務めた。
2004年12月にはJ-POPグループの「DEEN」とのコラボレーション楽曲を完成させ、ヒットとなる。2007年3月には、1974年3月に発売されたファースト・ソロ・アルバム「Touch Me, Yuka」が紙ジャケットCDにて限定生産ながら復刻された。
ボイストレーナーとして指導したミュージシャンには杏里、山下久美子、久保田利伸、大黒摩季、MISIA、SPEED、倖田來未、MAX、小沢健二、和田アキ子、平松愛理、研ナオコ、平井堅、持田香織、和央ようか、米倉涼子、観月ありさ、田中ロウマらがいる。
2014年頃に肝細胞がんを患い、闘病中に腰椎や胸椎を骨折しつつも活動を続けてきたが、2017年10月22日、肝細胞癌により神奈川県川崎市内の病院で死去[9][2][10]。
- ^ “ゴスペル先駆者 亀渕友香さん死去…和田アキ子「本当にびっくり」”. スポニチ (2017年10月25日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ a b 亀渕友香についてお知らせ - タートル・ミュージック・プラント 2017年10月24日、2019年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “訃報:亀渕友香さん72歳=ゴスペル歌手”. 毎日新聞 (2017年10月25日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ 読売新聞、2017年10月24日朝刊34面
- ^ “亀渕友香”. アテナ・ミュージック. 2023年10月6日閲覧。
- ^ 『徹子の部屋』より
- ^ “【訃報】日本のゴスペル第一人者、亀渕さん逝く”. テレビ朝日 (2017年10月24日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ “ゴスペル歌手の亀渕友香さんが死去 72歳”. 産経新聞 (2017年10月24日). 2023年10月6日閲覧。
- ^ “ゴスペル歌手の亀渕友香さん死去 パワフルな歌声が人気”. 朝日新聞デジタル (2017年10月24日). 2020年11月25日閲覧。[リンク切れ]
- ^ ゴスペル歌手の亀渕友香さん死去 - 時事ドットコム 2017年10月24日[リンク切れ]
固有名詞の分類
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