上愛子 宗教

上愛子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/28 13:50 UTC 版)

宗教

神社

諏訪神社は、室町時代に国分氏江戸時代伊達氏の保護を受けた。江戸時代には、上愛子ばかりでなく国分33ヶ村の総鎮守とされた。神社そばの妙台院が別当であった。1874年村社とされ、後には神社合祀政策による広瀬村の他の神社の統合先になった。他にも小さな社がある。

寺院

江戸時代の上愛子村には4つの寺と1つの修験院があった。今に残るのは大門寺、竜角寺、同慶寺である。

  • 青雲寺 竜角寺
竜角寺は曹洞宗の寺院である。元は1652年(承応元年)に開かれ、その後法山尊説が中興したという。あるいは、寛永8年(1631年)に江厳寺の旦庵光朔が開山したが、その後荒廃し、天保年間(1830年 - 1844年)に再建したともいう。現代の寺伝は後説をとり、旦庵を開山、法山を二世とする。
  • 南森寺 同慶寺
同慶寺も曹洞宗の寺院である。長福寺の名で天正15年(1587年)に開かれたと伝えられる。もとは郷六村葛岡城の北に開山したものが移転して上愛子に来たものである。徳川家重の幼名が長福丸であったため、享保2年(1717年)7月に改称した。江戸時代の建物は明治6年(1873年[6]、または明治8年(1873年)3月[7]に火災で焼失した。 その後再建され、2000年にさらに新築された。
  • 重如山 薫脩院 瑞応寺
瑞応寺は、真言宗の寺院で、鞍打(倉内)にあった。寛永13年(1636年)に山口重如が開いた。明和4年(1767年)に住職が絶えてから他の寺が管理したが、やがて廃寺になった[8]。境内には山口重如が寛延2年(1749年)に勧請した観音堂があったという。
  • 朝日山 妙台院
妙台院は、諏訪神社の別当院の修験院で、諏訪神社のそばにあった。もともと神社の禰宜であったものが、元和9年(1623年)に修験になり、修験院によって神社を管理したものである。明治初めに廃止された。ただし、その別当は引き続き諏訪神社の宮司を務めているので、形式が変更になったというほうが実情に即する。
  • 智福山観照院 大門寺
大門寺は、真言宗の寺である。創建年代は不明。寛永元年(1624年)に再興され、江戸時代には下愛子の町裏にあった。後の広瀬文化センターの位置である。1935年(昭和10年)の火災でほとんど全焼してから、1937年(昭和12年)9月に上愛子上原に移転した。

  1. ^ a b 町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口”. 仙台市. 2022年3月15日閲覧。
  2. ^ a b 宮城県 仙台市青葉区 上愛子の郵便番号”. 日本郵政. 2022年3月15日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 『宮城町誌』本編(改訂版)、『仙台藩の正保・元禄・天保郷帳』から作成
  5. ^ 江戸時代の「風土記御用書出」(『安永風土記』)に「御殿館」、「仙台古城書上」にこてん城とある。
  6. ^ 「天保以後年代記」、『宮城町誌 史料編』727頁
  7. ^ 「宮城県寺院明細帳」、『宮城町誌 本編(改定版)』、p585。
  8. ^ 廃寺後も江戸時代の墓地が広がっていたが、現在は寺の敷地の一部だったとみられる箇所にJR仙山線が通っている。


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