ヴァシリー・クズネツォフ ヴァシリー・クズネツォフの概要

ヴァシリー・クズネツォフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 01:32 UTC 版)

ヴァシリー・クズネツォフ
Василий Кузнецов

ヴァシリー・クズネツォフ(1986年撮影)

任期 1985年3月10日1985年7月2日
任期 1984年2月9日1984年4月11日
任期 1982年11月10日1983年6月16日

任期 1977年10月7日1986年6月18日
最高会議幹部会議長 レオニード・ブレジネフ
ユーリ・アンドロポフ
コンスタンティン・チェルネンコ
アンドレイ・グロムイコ

出生 (1901-02-13) 1901年2月13日
ロシア帝国コストロマ州ソフィロフカ
死去 (1990-06-05) 1990年6月5日(89歳没)
ソビエト連邦モスクワ
政党 ソビエト連邦共産党

来歴・人物

ユリウス暦1901年1月31日(グレゴリオ暦2月13日)、コストロマ州ソフィロフカに生まれる。1927年5月、ソ連共産党に入党する。1931年から1933年まで金属工学を学ぶためにアメリカに渡っている。

帰国後、1940年代初頭から党と国家の諸機関で勤務し、1955年ソ連第一外務次官を経て、ブレジネフ時代の1977年に新設された最高会議幹部会第一副議長に就任した。ブレジネフの死後、1982年から1983年まで幹部会議長代行を務める。以後、1984年1985年アンドロポフチェルネンコ両最高会議幹部会議長の死後、議長代行を務めた。1982年12月31日には、国家元首たる議長の代行として、ソ連国営テレビにて新年の祝辞を述べている。1986年、第一副議長のポストをピョートル・デミチェフ文化相に譲り、年金生活入りした。

1990年6月5日モスクワで89歳で死去した[1]。彼は、ミハイル・ゴルバチョフがこの記録を破るまで、ソ連及びロシアの国家元首(代行を含む)経験者のうち、最長寿の人物であった。

参考文献

公職
先代
レオニード・ブレジネフ
ソビエト連邦最高会議幹部会議長代行
1982年 - 1983年
次代
ユーリ・アンドロポフ
先代
ユーリ・アンドロポフ
ソビエト連邦最高会議幹部会議長代行
1984年
次代
コンスタンティン・チェルネンコ
先代
コンスタンティン・チェルネンコ
ソビエト連邦最高会議幹部会議長代行
1985年
次代
アンドレイ・グロムイコ
先代
新設
ソビエト連邦最高会議幹部会第一副議長
初代 : 1977年 - 1986年
次代
ピョートル・デミチェフ



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