ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ (ロストフ公)とは? わかりやすく解説

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ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ (ロストフ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/27 08:56 UTC 版)

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ヴァシリー・コンスタンチノヴィチ
Василий Константинович
ロストフ公
在位 1307年 - 1316年

出生 1291年
死去 1316年
子女 フョードル
コンスタンチン
家名 リューリク家
父親 ロストフ公コンスタンチン
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ヴァシリー・コンスタンチノヴィチロシア語: Василий Константинович1291年 - 1316年)は、歴代ロストフ公のうちの1人である。在位:1307年 - 1316年。あるいは1316年のみ[1]

生涯

ヴァシリーはロストフ公コンスタンチン(ru)の子である。年代記上における、ヴァシリーに関する記述は2ヶ所のみである。すなわち、1291年に生まれたこと、また、1316年にジョチ・ウルスからの使者と共にロストフへ到来し、多大な被害を与えたという記述である。ヴァシリーのこの行動は、この時期進行していた、トヴェリ公ミハイルモスクワ公ユーリーによる、ウラジーミル大公位をめぐる闘争と関連していると考えられている。

ヴァシリーの妻に関する詳細は不明であるが、フョードルとコンスタンチン(ru)という2人の子がおり、ヴァシリーの死後、2人がロストフ公国を分割して相続した。ヴァシリーの没年はおそらく1316年である。

出典

  1. ^ Войтович Л. 3.17. Мономаховичі. Юрійовичі. Ростовська, Суздальська, Московська і Тверська гілки // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ — Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.

参考文献

先代:
コンスタンチン・ボリソヴィチ
ロストフ公
1307年 - 1316年
次代:
ユーリー・アレクサンドロヴィチ



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