ローバー・P5
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/01 05:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ローバー・P5 | |
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P5Bサルーン P5Bクーペ 初期型サルーン | |
販売期間 | 1958年 - 1973年 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドアセダン・4ドアクーペ |
エンジン |
直列6気筒ガソリン2,995cc・ V型8気筒ガソリン3,528cc |
駆動方式 | FR |
変速機 |
4速MT 3速AT |
サスペンション |
前: 独立 ウィッシュボーン トーションバー 後・固定 半楕円リーフ |
全長 | 4,740mm |
全幅 | 1,780mm |
全高 | 1,540mm |
ホイールベース | 2,810mm |
車両重量 | 1,588kg |
先代 | ローバー・P4 |
後継 | ローバー・P6(3500系) |
-自動車のスペック表- |
保守的だが上質に仕立てられた、英国の典型的アッパーミドルクラスに当たる上級車であり、当時のローバー伝統の高品質とも相まった独特の格式で「中産階級のロールス・ロイス」とも呼ばれた。車格と量産車としての実用性を両立させていたため、イギリスの歴代首相や政府高官の公用車としても愛用された。イギリス王室は御料車・公用車としてロールス・ロイスやディムラー、オースチン・A135などの最高級車を用いたが、エリザベス女王はプライベートな足としてP5を自ら好んで運転していたことがある。
イギリスでは製造停止後、クラシックな雰囲気がありながら、現代の交通事情にも適合する性能を持ち、中古車の市場価格も比較的手頃で維持も困難でないという特長で、ヒストリックカーの愛好家から好まれるようになった。特にクーペモデルの人気が高い。
マークI (1958-1962年)
1958年に「ローバー・3リッター」として登場した最初のモデルである。
エンジンは直列6気筒2,995cc106馬力で、P5発売後も並行生産された従来型のローバー・P4のトップモデル「ローバー・95」の2,600ccエンジンを拡大したものであった。このエンジンは吸気側がOHV、排気側がサイドバルブ(SV)と異なる構造を持つIOE(intake/inlet over exhaust)エンジン(米国などでは「Fヘッド」と呼称)と呼ばれるSVとOHVの折衷的なレイアウトをもつエンジンであった。IOE自体は20世紀初頭から例が見られ、OHVが市場で全盛となっていた1950年代にはすでに前時代的なレイアウトとされるものであった。しかしローバーIOEエンジンは「燃焼の魔術師」と謳われた英国人エンジニア、ハリー・ウェスレイク(en:Weslake)によってデザインされ、内容は一般的なFヘッドと呼ばれるエンジンとは大きく異なっていた。傾斜したシリンダーヘッド、独特な形状のピストントップと燃焼室などを持ち、バルブの配置を含めFヘッドとは形容しがたいレイアウトをとっており、それらから構成される燃焼室形状はHEMIエンジンなどにみられる半球形(正確には逆半球形)となっていた。 実用性能は当時において必要充分であった。動力性能は当時の英国の自動車雑誌・ザ・モーターのテストによると、最高速度152.9km/h、0-60マイル加速17.1秒であった。
初期型は4輪ドラムブレーキであったが、発売後間もなく前輪はサーボ付きディスクブレーキとなり、1960年5月以降のモデルには自動変速機、オーバードライブ付きマニュアルギアボックス、パワーステアリングも注文可能となった。サスペンションは前輪がウィッシュボーンとトーションバーによる独立懸架、後輪は半楕円リーフ支持リジッドアクスルで、当時のイギリス車ではごく一般的で堅実なレイアウトであった。
1961年には細部に変更を受け「マークI-A」と呼ばれる改良型に発展し、1962年にマークIIと交代するまでに20,963台が生産された。
マークII(1962-1965年)
1962年にP5はマークIIに発展、最高出力が129馬力に引き上げられ、サスペンションが改良された他、基本はセダンのレイアウトのままでルーフラインを6cm低めた、ユニークな4ドアの「クーペ」が追加された。マークIIは15,676台のサルーンと5,482台のクーペが生産された。
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- 1 ローバー・P5とは
- 2 ローバー・P5の概要
- 3 マークIII(1965-1967年)
- 4 日本への輸入
固有名詞の分類
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