ラファエレ・デ・ロサ 経歴

ラファエレ・デ・ロサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 03:59 UTC 版)

経歴

14歳の時にレースを始める。イタリア、スペインの国内選手権、ロードレースヨーロッパ選手権等に参戦した後、2004年のイギリスGPで、負傷したライダーの代役参戦としてホンダのマシンを駆ってロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たす。

2005年にはマッテオーニ・レーシングからアプリリアを駆って125ccクラスフル参戦を開始。13ポイントを獲得してデビューシーズンをシリーズランキング23位で終えた。

2006年はマルチメディア・レーシングに移籍。パブロ・ニエトとヴァンサン・ブライヤールをチームメイトに迎えたこのシーズンはシリーズ16位に入った。翌2007年も同チームに残留し、ドミニク・エガーターのチームメイトを務めた。開幕戦カタールGP第3戦トルコGPで4位に入り、またファステストラップを2回記録するなどの活躍を見せた(シリーズランキングは前年と同じ16位)。

2008年アンヘル・ニエトJr.率いるオンデ2000チームに移籍し、再びパブロ・ニエトをチームメイトにKTMのマシンを駆ることになった。第6戦イタリアGPでは自身初のポールポジションを獲得するが、シーズンを通して転倒やマシントラブルが多く、シリーズランキングは18位に終わった。

2009年、デ・ロサは250ccクラスにステップアップを果たし、チーム・スコット青山博一のチームメイトとしてホンダ・RS250RWを駆ることになった。開幕から安定して上位でのフィニッシュを続け、第15戦オーストラリアGPではクラス初のポールポジションから初表彰台となる3位を獲得、最終戦バレンシアGPでも3位を獲得し、前年度125ccクラスチャンピオンのマイク・ディ・メッリオを上回るシリーズランキング6位を記録、見事ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

2010年は250ccクラスの後継となるMoto2クラスに、テック3チームから高橋裕紀のチームメイトとして参戦した[1]。しかしこのシーズン、デ・ロサは全クラス通して最多となる22度もの転倒を喫してしまい[2]、ポイントを獲得できたレースはわずか4戦、年間ランキングは27位にまで沈んだ。

2011年シーズンはかつてのチームメイトであるパブロ・ニエトが運営するスペインのG22レーシングに移籍、モリワキのシャシーを駆ることとなった[2]。しかし開幕から4戦連続ノーポイントという成績不振と、スポンサー獲得のためにスペイン人ライダーが必要というチームの台所事情から、第5戦カタルニアGPを前にカルメロ・モラレスにシートを奪われてしまった[3]








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