メディア王国 メディア「王国」の実在性の問題

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メディア王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 22:14 UTC 版)

メディア「王国」の実在性の問題

「メディア人」の部族、またそれらを束ねる首長らが存在したことはアッシリアやバビロニアの史料から明瞭であるが、近年ではハカーマニシュ朝の前身としてのメディア「王国」の存在については懐疑的な見解が有力である。これは、デイオケスによって建国されイラン高原およびその東西の広大な範囲を支配した統一国家メディア「王国」はヘロドトスをはじめとした古代ギリシア人の著作家の記録にのみ登場し、非ギリシア史料や考古資料にその痕跡が一切存在しないことによる[58]。実際、アッシリアの記録に登場するメディア人たちは要塞化された居住地を束ねる複数の首長らからなり、統一的な王の存在は同時代史料からは全く見出されない[58]。これらのことから、メディア王国とは古代ギリシア人の想像の産物に過ぎず、その実態はイラン系遊牧民の部族連合のようなものであったとする見解もある[59]

この見解がどの程度の妥当性を持つかは議論があるが、メディア「王国」の史実性・実在性について証明可能な史料は存在しない。そのため、ハカーマニシュ朝の前史として描かれ、その制度と領土がハカーマニシュ朝に引き継がれ大きな影響を与えたとされるメディア「王国」についての一般的な説明は見直しを迫られている[59]

部族

ギリシアの歴史家ヘロドトスはデイオケスが統一したメディア人には複数の部族があるということを記録に残している[60]。そして具体的に以下の6つの部族を挙げている。

  • ブサイ (Busae)
  • パレタケノイ (Paraetaceni)
  • ストルカテス (Stru­khat)
  • アリザントイ (Arizanti)
  • ブディオイ (Budii)
  • マゴイ(Magoi)

しかしこれらの部族の大部分について、アッカド語史料との対応を証明することは不可能である[61]。アリザントイは「東のアリビ(Aribi)」と呼ばれる遊牧民に相当するかもしれない[62][注釈 10]。パレタケノイはアッシリアの史料にパルタッカ(Partakka)、パリタカ(Paritaka)、パリタカーヌ(Paritakānu)という名前で前7世紀から言及されるようになっている[62]。メディアの諸部族の中でアリザントイ(Arizanti、*arya-zantu、「アーリヤ人の血統に連なる」)だけが明確なイラン系言語の名称を持っているが、現代の学者はメディアの諸部族についてほとんど何の情報も持ち合わせていない[62][1]。それぞれの部族がどの地方に居住していたのかも多くの場合不明である[62]。パレタケノイは明らかに現在のイスファハーン近郊のあたりに暮らし、アリザントイはメディアの砂漠地帯(現在のカーシャーン南東?)で遊牧生活を送っていたと見られる[62]。マゴイは後にイランの祭司階級として確立されるマグ(Magu)と関係があるとされ、メディア人のみならずペルシア人のためにも祭司を務めたとされる[63][1]。この語はラテン語形のマグス(Magus)の複数形マギMagi)という名称で現代でも良く知られている[63]

言語

メディア人たちが話した言語はメディア語と呼ばれ、インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派に分類されている[64]。メディア語はその中でも西イラン語の西北イラン語に分類される[65][66]。メディア語で書かれた文書は一切存在しないため、この言語について知られていることは極わずかであるが[67]ローマ帝国時代のギリシア人地理学者ストラボンは、メディア語がサカ・スキタイ語および古代ペルシア語と良く似ていたことを証言している[68]

史料が極僅かとは言え、メディア語と呼ぶことが可能な言語が実際に存在したことはヘロドトスの記録や古代ペルシア語に見られるメディア語からの借用語の存在によって疑いない[67]。ハカーマニシュ朝期に作られた古代ペルシア語の碑文では特に行政・司法・軍事に関わる用語にメディア語形を取る用語が散見される[69]日本の学者伊藤義教によればメディア語から古代ペルシア語への借用語と予想される用語には具体的に以下のようなものが挙げられる。

  • Xšaθrapā-:フシャスラパー、クシャスラパー。「王国を守る者」、「知事」「総督」の意。古代ペルシア語形ではXšassapāvan-という形を取る。ギリシア語にはsatrapēs(サトラペス)という形で借用され、それが転訛したサトラップという用語は現代でも使用される。他にエクサトラペス、サドラパスなどの形でも借用されている。アッカド語ではアクシャダラパンヌ、サンスクリットではクシャトラパ、チャトラパという形で借用されているが、これらは全てメディア語形から借用されている[69]
  • *paridaiza-:パリダイザ、原義は「まわりに(pari-)積み上げたもの(daiza-)をもつもの」であり、転じて周壁を備えた遊園を指すようになった。ハカーマニシュ朝におけるこの施設は非常に有名であり、ギリシア語parádaisosを経て英語paradise(パラダイス、楽園)の語源ともなった。古代ペルシア語形ではparidaida-(パリダイダ)となる[70]
  • xšāyaθiya-:フシャーヤシヤ、クシャーヤシヤ。「王」の意。古代ペルシア語形ではxšāyašiya-となると伊藤は予測している[70]
  • pati-zbay-:「布告する」[70]
  • ganza-bara-:「財務官」[71]
  • zūra-kara-:「行詐者」[71]
  • spāda:「軍隊」[71]

このような行政・司法・軍事に関わるメディア語の用語が多数古代ペルシア語に借用されていることは、ハカーマニシュ朝がメディア王国の国家機構から大きな影響を受けた、あるいはそれを引き継いでいたことを示唆するであろう[69]

その他人名や地名、上に述べたような行政用語や宗教と関わる固有名詞の情報が残されているが、普通名詞は極僅かしか残されていない[67]。以下に提示した単語は黒柳恒男が著書の中で例示したものに依る。

  • spaka:「イヌ」
  • tigris:「矢」
  • tetaros:「キジ」

注釈

  1. ^ Tavernier, Jan (2007), Iranica in the Achaemenid Period (ca. 550-330 B.C.): Linguistic Study of Old Iranian Proper Names and Loanwords, Attested in Non-Iranian Texts, p. 27
  2. ^ PartakkaParitakkaParitakānuとも。後のパラエタケネ、現在のイスファハーン近郊[24]
  3. ^ ディアコノフは「パルティア(Parthia)か?」としている[24]
  4. ^ 古イラン語:*Zanaxšāna か?[24]
  5. ^ 対応する地名は不明。間接的な情報から、他の2つの土地からある程度離れた距離にあったものと思われる[24]
  6. ^ 古イラン語:*Rāmatavya[24]
  7. ^ 古イラン語:Xšaθrita(フシャスリタ)[25]
  8. ^ 古イラン語:Vabmyataršiか?[25]
  9. ^ 日食の発生はEncyclopedia Iranicaによれば前585年5月29日[1]、杉 1969によれば前585年5月26日である[44]
  10. ^ ディアコノフは一応(tentatively)アリビという名称はエラム語*ari-pe(the Arya)から来たものとしている[62]
  11. ^ 伊藤の訳文ではプラオルテス。記事内の表記を一定とするためここではフラオルテスに変更している。
  12. ^ 伊藤の訳文ではウワクシュトラ。記事内の表記を一定とするためここではウワフシュトラに変更している。
  13. ^ Xšaθrita、伊藤の訳文ではクシャスリタ。記事内の表記を一定とするためここではフシャスリタに変更している。
  14. ^ 日本の学者阿部拓児によれば、アスティパラスという王名はこの引用を行ったビザンツ時代の学者の不注意による誤りである可能性が高い[81]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc Dandamayev, Medvedskaya 2002
  2. ^ 西洋古典学辞典 2010, pp. 1266-1267 「メーディアー」の項目より
  3. ^ Tavernier 2007, p. 27
  4. ^ Diakonoff 1985, p. 57
  5. ^ ヘロドトス, 巻7§62
  6. ^ 松平訳, 下巻注釈51-4 , p. 320
  7. ^ 松平訳, 下巻注釈51-5 , p. 321
  8. ^ a b c Levine 1974, p. 119
  9. ^ a b c フィネガン 1983, p. 155
  10. ^ a b c d e f Levine 1974, p. 120
  11. ^ Medvedskaya 2003
  12. ^ Diakonoff 1985, p. 36
  13. ^ Diakonoff 1985, pp. 36-41
  14. ^ Diakonoff 1985, p. 41
  15. ^ 杉 1969, p. 274
  16. ^ a b c 杉 1969, p. 275
  17. ^ a b c d e ギルシュマン 1970, p. 79
  18. ^ Diakonoff 1985, p. 68
  19. ^ a b ギルシュマン 1970, p. 84
  20. ^ a b Diakonoff 1985, p. 83
  21. ^ a b ギルシュマン 1970, p. 85
  22. ^ ヘロドトス, 巻1§97-98
  23. ^ ヘロドトス, 巻1§97-100
  24. ^ a b c d e Diakonoff 1985, p. 104
  25. ^ a b c d e f Diakonoff 1985, p. 105
  26. ^ 杉 1969, p. 276
  27. ^ a b c d Diakonoff 1985, p. 110
  28. ^ a b c ヘロドトス, 巻1§102
  29. ^ Diakonoff 1985, p. 106
  30. ^ a b c d Diakonoff 1985, p. 114
  31. ^ Diakonoff 1985, p. 115
  32. ^ ヘロドトス, 巻1§99
  33. ^ a b c d e f g h Diakonoff 1985, p. 117
  34. ^ ヘロドトス, 巻1§102-104
  35. ^ a b c d Diakonoff 1985, p. 118
  36. ^ a b ヘロドトス, 巻1§106
  37. ^ Diakonoff 1985, p. 119
  38. ^ a b Diakonoff 1985, p. 122
  39. ^ a b c Diakonoff 1985, p. 123
  40. ^ 杉 1969, p. 277
  41. ^ a b c Diakonoff 1985, p. 125
  42. ^ ヘロドトス, 巻1§134
  43. ^ 杉 1969, p. 273
  44. ^ a b c 杉 1969, p. 283
  45. ^ ヘロドトス, 巻1§74
  46. ^ a b c Diakonoff 1985, p. 127
  47. ^ 山本 1997a, p. 108
  48. ^ a b ヘロドトス, 巻1§107
  49. ^ ヘロドトス, 巻1§108
  50. ^ a b ヘロドトス, 巻1§113
  51. ^ ヘロドトス, 巻1§119
  52. ^ ヘロドトス, 巻1§120-121
  53. ^ ヘロドトス, 巻1§125-126
  54. ^ ヘロドトス, 巻1§127-130
  55. ^ ヘロドトス, 巻1§131
  56. ^ 山本 1997b, p. 118
  57. ^ フィネガン 1983, p. 157
  58. ^ a b 阿倍 2021, p. 40
  59. ^ a b 阿倍 2021, p. 41
  60. ^ ヘロドトス, 巻1§101
  61. ^ Diakonoff 1985, p. 74
  62. ^ a b c d e f Diakonoff 1985, p. 75
  63. ^ a b ボイス 2010, p. 107
  64. ^ 黒柳 1984, pp. 28-29
  65. ^ 黒柳 1984, p. 53
  66. ^ 伊藤 1974, p. ix まえがき
  67. ^ a b c 黒柳 1984, p. 33
  68. ^ 黒柳 1984, p. 34
  69. ^ a b c 伊藤 1974, p. 54
  70. ^ a b c 伊藤 1974, p. 173
  71. ^ a b c 伊藤 1974, p. 174
  72. ^ a b c d e f g h i j k l m Stronach 1986
  73. ^ ギルシュマン 1970, p. 66
  74. ^ ヘロドトス, 巻1§130
  75. ^ 山本 1997a, p. 110
  76. ^ a b c Schmitt 1994
  77. ^ Diakonoff 1985, p. 90
  78. ^ 伊藤 1974, pp. 29-30
  79. ^ Diakonoff 1985, p. 117
  80. ^ a b c d e f クテシアス, pp. 101-102, 断片4-5, 第32章
  81. ^ クテシアス, p. 105, 訳注3
  82. ^ クテシアス, pp. 104-105, 断片5, 第34章
  83. ^ クテシアス, pp. 138-139, 断片8d


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