メアリーズビル (カリフォルニア州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 09:00 UTC 版)
メアリーズビル City of Marysville | |
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メアリーズビルにあるハート・ビル、アメリカ合衆国国家歴史登録財 | |
愛称 : ゴルフ場への入口 | |
位置 | |
ユバ郡内の位置 | |
座標 : 北緯39度08分45秒 西経121度35分29秒 / 北緯39.14583度 西経121.59139度 | |
行政 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | カリフォルニア州 |
郡 | ユバ郡 |
市 | メアリーズビル City of Marysville |
地理 | |
面積 | |
市域 | 9.4 km2 (3.6 mi2) |
陸上 | 9.1 km2 (3.5 mi2) |
水面 | 0.3 km2 (0.1 mi2) |
水面面積比率 | 3.31% |
標高 | 19 m (62 ft) |
人口 | |
人口 | (2020年現在) |
市域 | 12,844人 |
備考 | [1] |
その他 | |
等時帯 | 太平洋標準時 (UTC-8) |
夏時間 | 太平洋夏時間 (UTC-7) |
公式ウェブサイト : City of Marysville |
歴史
1842年、ジョン・サッターがドイツのメクレンブルク出身のセオドア・コルドゥアにランチョ・ニューヘルベティアの土地の一部を賃貸しした。コルドゥアは家畜を育て、1843年には「ニューメクレンバーグ」と呼ぶ家屋と交易拠点を建設した[2]。この交易拠点と家があった場所は後にメアリーズビルのメインストリートである'D'通りの南端となった場所だった。1844年、メキシコ政府がコルドゥアに彼自身の特許土地であるランチョ・ホンカットを認めた。
1848年、コルドゥアの元従業員だったチャールズ・コビロードが金鉱原で富を掴み、コルドゥアの牧場の半分を購入した。その後の1849年1月、コビロードの妻メアリー・マーフィーの義兄弟、マイケル・C・ナイとウィリアム・フォスター・ナイがコルドゥア牧場の残り半分を購入した。同年10月、コビロードはその牧場の大半をホセ・ラミレス、ジョン・サンプソンおよびセオドア・シカードに売却した。カリフォルニア・ゴールドラッシュ時代、この牧場は採鉱現場に向かう途中の鉱山師を運ぶサクラメントからサンフランシスコへの川舟が立ち寄る場所になった。メアリーズビル市に入る地点の路側にある看板は現在でも「金鉱原への入口」とされている。
1850年、コビロード、ラミレス、サンプソンおよびシカードはフラン人測量士オーガスタス・ル・プロンジョンを雇用し、まず「ジュバビル」、後に「ユバビル」と呼ぶ町の計画を作らせた[3]。新しく転居してきた弁護士スティーブン・J・フィールドがその65区画を購入し、それらを販売するために土地譲渡証書を書き上げた。その後、フィールドは鉱山キャンプで3日間を過ごした後に、メキシコの役職であるアルカルデの候補指名を受けた。アルカルデとは形成されることになる新しい政府で市長と治安判事の任務を合わせたものだった。1850年1月18日、フィールドは、まだ町での滞在期間が6日間でしかなかったその対立候補を破った。また1人の市政委員も選ばれた。その夜、町の住人はチャールズ・コビロードの妻メアリー・マーフィー・コビロードに因んで町の名を「メアリーズビル」とすることに決めた。メアリーはドナー隊の生き残りの一人だった。メアリーズビルがカリフォルニア州議会で法人化された後、初代市長が1851年に選出された。フィールドはその後、アメリカ合衆国最高裁判所で最長期間を務めた者になった[2]。
1851年には郵便局が開局した。1853年までに、それまでのテントの町が煉瓦造りの建物に置き換えられた。煉瓦造り商業ビルに加えて、製粉所、鉄工所、工場、機械工場、学校、教会が建てられ、日刊紙は2紙発行された。人口はほぼ1万人になった。1857年までメアリーズビル市は繁栄する都市だった。ゴールドラッシュ時代の戦略的な場所にあったので、カリフォルニア州でも最大級の都市だった。1,000万ドル以上の金がメアリーズビルの川岸からサンフランシスコの造幣局に運ばれた。市の創設者達はメアリーズビル市が「太平洋のニューヨーク」になることを想像した。
しかし、メアリーズビル市より上流のユバ川で水力採鉱が行われたので、堆積物がフェザー川とユバ川の河床に積み上がり、冬の嵐や春の雪解け時にメアリーズビルは洪水の危険性に曝されるようになった。市は堤防を造り[4]、それが現在でも維持されている。この堤防が市の大きさを規定し、市のそれ以上の成長が事実上不可能になった。堤防が造られてからは人口が伸びなかった。1875年以降メアリーズビル市で洪水を経験したのは3度だけだが、この町は「カリフォルニア最古の小都市」と呼ばれている。またフェザー川の河床がさらに高くなったために、次第に航行が難しくなり、メアリーズビルまで川舟が上がって来なくなった。
メアリーズビルには1860年代にかなりの中国系アメリカ人社会が存在したが、1866年2月にすべての中国系アメリカ人は暴力的に町から排除された[5]。そのときから中国系アメリカ人の人口は回復していない。
ゴールドラッシュ時代から20世紀初期に掛けて、メアリーズビルには活動的なユダヤ商人の社会もあった。1862年にネイサン・シュナイダーがシュナイダー衣料を設立し、「価値の家」として広告され、1980年代後半まで存在した。アイザック・グレージャーとサイモン・グレージャーは1851年から1862年までオールドコーナー・タバコ店を経営し、その後サンフランシスコに移転した。J・H・マーキューズはウェスタン・アンド・パレス・タバコ店を始めた。フィリップ・ブラウンは自身を「メアリーズビルをリードする仕立屋、ズボンは4ドルから注文仕立て、P・ブラウンの特製品、白の労働着オーバーオール」というふうに広告した。1852年にW・K・ハドソンとサミュエル・ハリーマンが設立したユニオン製材所は後に簿記係のH・J・チェイムが買収し、現在でもチェイム家が所有している。
2010年、メアリーズビル市政委員会は税収を上げるための一環として、ショッピングセンターの開発のためにワシントン広場公園の一部を売却するという異論の多い決断を下した。これは市が緑地を開発することに反対する市民集団である「メアリーズビルの公園を守る市民団」によって持ち込まれた法廷闘争に、市が金を掛けながら勝利した後のことだった[6]。その後、市が緑地を失うことを埋め合わせる緩和手段が出たが、事実上市域内にあるとしても堤防の輪の外側にある市の資産を使うことに対して批判されている[7]。
歴史史跡
アメリカ合衆国国家歴史登録財としては9つの史跡と1つの歴史地区が保存に値する文化資源として登録されている[8]。以下はそのリストである。
- ボク・カイ寺院
- デッカー・ジュエット銀行
- エリス・ビル
- フォーブス家
- ハート・ビル
- ウォーレン・P・ミラー家、「メアリー・アーロン博物館」とも呼ばれる
- パッカード図書館
- ホセ・マヌエル・ラミレス家、「W・T・エリス家」あるいは「ザ・キャッスル」とも呼ばれる
- 郵便局 - メアリーズビル本局
- メアリーズビル歴史的商業地区
その他の歴史的に興味有るものとして、ジュリア・モーガンが設計した家屋、ホテル・メアリーズビルおよび州立劇場がある。
地理
メアリーズビルは北緯39度08分45秒 西経121度35分29秒 / 北緯39.14583度 西経121.59139度座標: 北緯39度08分45秒 西経121度35分29秒 / 北緯39.14583度 西経121.59139度に位置する[9]。アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、市域全面積は3.6平方マイル (9.4 km2)であり、このうち陸地は3.5平方マイル (9.1 km2)、水域は0.1平方マイル (0.3 km2)で水域率は3.31%である。
メアリーズビルは州都サクラメント市の北40マイル (64 km) にあり、サクラメント・バレーの中に位置している。長年、洪水が市の大きな心配事であり続けている。市の南と東はユバ川、西はフェザー川が境界となり、この2つの川は市の南西で合流している。近くのシエラネバダ山脈から流れ出る雪解け水や冬の嵐で降る雨水が多い年は、この2つの川が市に洪水をもたらす危険性がある。
オーロビル 州道70号線 |
ロマリカ | |||
ユバシティ 州道20号線 |
ブラウンズバレー 州道20号線 | |||
メアリーズビル | ||||
オリーブハースト 州道70号線 |
リンダ |
- ^ “Quickfacts.census.gov”. 2024年1月6日閲覧。
- ^ a b Durham, David L. (1998). California's Geographic Names: A Gazetteer of Historic and Modern Names of the State. Clovis, Calif.: Word Dancer Press. p. 520. ISBN 1-884995-14-4。
- ^ Gold Rush, Section 9 Archived 2010年5月27日, at the Wayback Machine. by the California State Library
- ^ “Marysville's Crisis”. The Big Flood, California 1955. California Disaster Office (1956年). 2010年11月14日閲覧。
- ^ Showing Marysville in CA
- ^ Whitmore, Dale."Tree nets spoiling Marysville[リンク切れ]," The Appeal-Democrat, April 16, 2009
- ^ Marysville's plan for ex-Hollywood Trailer Park land draws fire Archived 2012年9月5日, at Archive.is
- ^ http://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/ca/Yuba/state.html
- ^ U.S. Geological Survey Geographic Names Information System: メアリーズビル (カリフォルニア州)
- ^ weather.com、ただし本データは近郷のユバシティのもの
- ^ “Will Gerrymandered Districts Stem the Wave of Voter Unrest?”. Campaign Legal Center Blog. 2008年2月10日閲覧。
- ^ City Council members
- ^ Parks/Facilities Archived 2010年8月1日, at the Wayback Machine.
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