ミゲル・デ・ウナムーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 14:29 UTC 版)
ミゲル・デ・ウナムーノ | |
---|---|
1925年のウナムーノ | |
生誕 |
Miguel de Unamuno y Jugo 1864年9月29日 スペイン王国、ビスカヤ県ビルバオ |
死没 |
1936年12月31日(72歳没) スペイン、サラマンカ県サラマンカ |
国籍 | スペイン |
出身校 | マドリード・コンプルテンセ大学 |
代表作 |
『ドン・キホーテとサンチョの生涯』(1905年) 『人間と民族における生の悲劇的感情』(1913年) 『殉教者聖マヌエル・ブエノ』(1933年) |
非婚配偶者 | コンセプシオン・リサラガ |
親 | フェリクス・デ・ウナムーノ、サロメ・フーゴ |
いわゆる「98年世代」にあたり、真のスペインの思想・国家・人民のあり方について模索し続け、スペイン思想界に大きな影響を残した。実存主義的な思想家として知られ、哲学と詩の両面から生と死、あるいは自己の問題などに取り組み、「私とは何者であるか」「死後の私はどうなるか」の2点に強い関心を持った[1]。特にデンマークのセーレン・キェルケゴールに強く影響され、「南欧のキェルケゴール」と呼ばれる。
- ^ マシア(2003)、p.17
- ^ a b c d e f 狩野(2003)、pp.184-186
- ^ a b c d e f g h i j k l m 渡部(2004)、pp.119-121
- ^ マシア(2003)、p.28
- ^ a b 佐々木(1976)、pp.36-37
- ^ a b c d e マタイスほか(1975)、pp.267-274
- ^ マシア(2003)、p.30
- ^ 渡部(2004)、pp.169-170
- ^ Etxegoien, J. Orhipean, Gure Herria ezagutzen Xamar: 1996 ISBN 84-7681-119-5
- ^ マタイスほか(1975)やマシア(2003)は10人とし、狩野(2003)は8人としている。
- ^ マシア(2003)、p.33
- ^ a b 佐々木(1976)、pp.160-162
- ^ a b c 狩野(2003)、pp.187-188
- ^ 佐々木(1976)、p.165
- ^ a b c d 佐々木(1976)、pp.167-169
- ^ a b c d e 狩野(2003)、pp.188-192
- ^ Eduardo Ortega y Gasset(1882 - 1965)。ジャーナリスト、政治家。哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットは弟。
- ^ マシア(2003)、p.40
- ^ a b 佐々木(1976)、pp.178-180
- ^ a b c d e 渡部(2004)、pp.121-123
- ^ 狩野(2003)、pp.192-196
- ^ a b c 佐々木(1976)、pp.42-43
- ^ 『ウナムーノ、オルテガの研究』共著者ホアン・マシアと、『ドン・キホーテの死生観』の著者ヨハネ・マシアは、同一人物で上智大学神学部教授。
- 1 ミゲル・デ・ウナムーノとは
- 2 ミゲル・デ・ウナムーノの概要
- 3 経歴
- 4 思想・影響
- 5 著作
- 6 外部リンク
固有名詞の分類
思想家 |
蓮如 鈴木大拙 ミゲル・デ・ウナムーノ 満済 フランツ・ブレンターノ |
スペインの小説家 |
エンリック・バロア・イ・ヴィベス ハビエル・セルカス ミゲル・デ・ウナムーノ エルビラ・リンド ラファエル・サンチェス・フェルロシオ |
スペインの詩人 |
マルティン・コダス フランシスコ・デ・ケベード ミゲル・デ・ウナムーノ ロペ・デ・ベガ アルベルト・ラフォルス・カサマダ |
スペインの劇作家 |
ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ ティルソ・デ・モリーナ ミゲル・デ・ウナムーノ ロペ・デ・ベガ ハシント・ベナベンテ |
スペインの哲学者 |
モーシェ・ベン=マイモーン ホセ・オルテガ・イ・ガセト ディエス・デル・コラール ミゲル・デ・ウナムーノ バルタサル・グラシアン |
- ミゲル・デ・ウナムーノのページへのリンク