マリーザ・サンニア マリーザ・サンニアの概要

マリーザ・サンニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 02:07 UTC 版)

略歴

サルデーニャイグレージアスに生まれる。もともとはバスケットボールの選手だった。

子どもの時に最も大きな町カリャリに移住、ハイスクールを卒業後はラジオ・カリャリのアナウンサーになった。

1966年のテレビフェスティバル「カンツォーネッシマ」の新人コンテストに優勝、フォニット・チェトラ・レコードからスカウトされ1966年にデビュー。

その才能をセルジオ・エンドリゴルイス・バカロフに見出される。1968年サンレモ音楽祭入賞曲「Casa bianca カーザ・ビアンカ」(パートナーはオルネラ・ヴァノーニ)が大ヒット、愛らしい容姿と個性的な歌声で一躍スターとなる。

同音楽祭では1970年に「L'Amore e Una Colomba 恋は鳩のように」(パートナーはジャンニ・ナザーロ)、1971年に「Com'è dolce la sera 夕べの瞳」(パートナーはドナテッロ)、1984年に「Amore amore アモーレ・アモーレ」で入賞し、彼女の代表曲となった。

1970年大阪万博に来日している。

その後も長く歌手活動を続けたが、特に故郷サルデーニャの古謡の研究に情熱を注ぎ、自ら作曲した作品も含め、そのサルデーニャ語での歌唱は高く評価されている。2008年、カリャリにおいて急死。

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