マイケル・S・ハート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/28 18:45 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動マイケル・ハート | |
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プロジェクト・グーテンベルクのマイケル・ハート(左)とGregory Newby。HOPE会議にて。2006年。 | |
生誕 |
Michael Stern Hart 1947年3月8日 アメリカ合衆国、タコマ (ワシントン州) |
死没 |
2011年9月6日(64歳没) アメリカ合衆国、アーバナ (イリノイ州) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 著作家 |
著名な実績 | プロジェクト・グーテンベルク |
公式サイト | Michael Hart Pictures Page |
生い立ち
マイケル・ハートの父は事務員、母は第二次世界大戦時に暗号解読者として従軍したのち小売店の事務責任者を務めていた。1958年、一家はアーバナ (イリノイ州)に引越しし、両親はそれぞれシェイクスピア研究、算数・数学教育を専門とする教授になった。ハートはイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に入学しわずか2年間で卒業した[3]。大学院には入学したが修了はしなかった。
プロジェクト・グーテンベルク
イリノイ大学に在籍していた当時、ハートは計算機センターからユーザーアカウントをもらっていた。彼の兄弟の親友がメインフレームオペレータだったためである[4]。計算機の利用目的はデータ処理が中心だったが、ハートはその計算機があるネットワーク(その一部はのちのインターネットとなる)に接続されていることを認識しており、自分の計算機利用時間を割いて情報の配布をすることを選んだ。1971年7月4日[5]にアカントを作成してもらったあと、何をするかを考えたことを次のように述懐している。その夜の花火を見た帰り、彼は食料品店で配布されていたアメリカ独立宣言を一部受け取った。ふと思いついてそれをテレタイプ端末で入力したが、多人数に電子メールで送信するのは無理なことに気づいた。「システムクラッシュ」を避けるためには、個人個人にダウンロードしてもらわなければならなかったのである。
これがプロジェクト・グーテンベルクの始まりだった。ハートは聖書、ホメーロス、ウィリアム・シェイクスピア、マーク・トウェインなどの古典を入力していき、1987年には、合計313冊の入力を終えた。その後イリノイ大学のPCユーザーグループと大学所属のプログラマ Mark Zinzow の協力を得て、ボランティアを募集し、ミラーリングのためのインフラストラクチャーやメーリングリストを整備することができた。これによってプロジェクトは高速に発展することができた。
プロジェクト・グーテンベルクのミッションステートメントは次のとおりだった[4]。
- "Encourage the Creation and Distribution of eBooks" (電子書籍の製作と配布を奨励する)
- "Help Break Down the Bars of Ignorance and Illiteracy" (無知と文盲の壁を壊すのを助ける)
- "Give As Many eBooks to As Many People As Possible" (できるだけ多くの電子書籍をできるだけ多くの人々に届ける)
その他の活動
ハートは著作家であり、その作品はプロジェクト・グーテンベルクのサーバで無料で公開されている。また、自己複製機械を作ることを目的としたRepRap Projectのメンバーでもあった[6]。
- ^ a b Michael S. Hart, Project Gutenberg
- ^ Flood, Alison. “Michael Hart, inventor of the ebook, dies aged 64”. The Guardian. 2011年9月9日閲覧。
- ^ “Open and Shut?: Interview with Michael Hart”. Poynder (2006年3月). 2011年9月9日閲覧。
- ^ a b Hart, Michael S, The History and Philosophy of Project Gutenberg, Project Gutenberg.
- ^ 7月4日はアメリカ独立記念日にあたる。
- ^ Michael Hart (1947–2011): Prophet of Abundance, UK: Computer World, (2011-09)
- 1 マイケル・S・ハートとは
- 2 マイケル・S・ハートの概要
- 3 脚注
- マイケル・S・ハートのページへのリンク