ポパム植民地 ポパム植民地の概要

ポパム植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 04:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
現在のメイン州にある1607年ポパム植民地の位置、地図の"Po" で示されている。ジェームズタウン開拓地は"J"の位置である。

ポパム植民地は後にニューイングランドと呼ばれるようになる地域では初のイギリス人植民地だった。この植民地は、新世界での成功が無かったというよりも明らかに指導層の家族に変化があった為に、わずか1年後に放棄された。ポパムで1607年と1608年の間に植民者の人命が失われた数ではジェームズタウンが経験したよりも遥かに少なかった。

ポパム植民地があった間に新世界では初めてイギリス人が建造した船が完成し、大西洋を渡ってイングランドに戻る航海を行った。バージニア・オブ・サガダホック号と名付けられたこのピンネース船は明らかに外洋航行が可能なものであり、1609年にはクリストファー・ニューポート卿の9隻の船からなるジェームズタウンへの第三次補給船隊の1隻として、再度大西洋をうまく渡った。このちっぽけなバージニア号は途中、ハリケーンであったと考えられる3日間の暴風雨にも生き残った。この嵐では、船隊の旗艦で大きく新しいシー・ベンチャー号がバミューダ諸島で難破した。

ポパム植民地の正確な位置は1994年の再発見まで分からなくなっていた。この歴史的な場所の大半は現在、メイン州のポパムビーチ州立公園の一部となっている。

設立

ポパムは、バージニアを開拓する為に民間投資家から資本を募り、1606年にイングランド王ジェームズ1世が勅許した株主制バージニア会社にある2つの競合部分の一つ、プリマス会社の1つのプロジェクトだった。当時「バージニア」という名前はスペイン領フロリダから現在のカナダにあったヌーベルフランスまで北アメリカ北東海岸全体に適用されるものだった。この地域はスペイン王室が実質的に領有権主張する所だったが、占有はしていなかった。

プリマス会社は王室勅許と北緯38度線から45度線までの海岸に対する権利を与えられた。ライバルのロンドン会社は北緯34度線から41度線までの海岸を認められた。植民者たちはそれぞれの重複していない地域にまず入植することとされた。重複する地域である北緯38度線と41度線の間は、そこを植民地化するだけの「十分な力がある」と分かった会社にまず任されることになっていた。

植民者

プリマス会社の最初の船リチャード号は1606年8月に出帆したが、スペインが11月にフロリダの近くで妨害し捕獲した。

次の試みはもう少し成功した。1607年5月31日に約120人の植民者が2隻の船でプリマスを出航した。彼らは貴金属、香料および毛皮を交易し、地域の森林がイギリスの船を作るために使えることを示す意図があった。植民者の指導者ジョージ・ポパム英語版がローリー・ギルバートを副指揮官としてギフト・オブ・ゴッド号に乗船した。もう一つの船の船長ロバート・デイビスが日誌を付けており、これがポパム植民地に関する当時の主要情報源の1つとなっている。

ジョージ・ポパムは植民地の財政的後ろ盾、イングランドの首席裁判官であるジョン・ポパム英語版卿の甥であり、ローリー・ギルバートはウォルター・ローリー卿の腹違いの甥だった。その他の出資者として、プリマスの軍政府長官フェルディナンド・ゴージズがおり、植民地における出来事の情報大半は彼の手紙や回想録から得られている。開拓者達には9人の評議会員や6人の紳士が含まれており、残りは軍人、工芸職人、農夫および交易業者だった。

ギフト・オブ・ゴッド号は1607年8月13日にケネベック川(当時はサガダホック川と呼ばれた)河口に到着した。もう1隻のメアリー・アンド・ジョン号は3日後に到着した。ポパム植民地はサビーノと名付けられた地域の突端に設立された。植民者は直ぐに大型の星型をなすセントジョージ砦の建設を始めた。セントジョージ砦は溝や塁壁があり、半カルバリン砲からファルコン砲までの大きさがある9門の大砲が備えられた。

ハントの地図

1607年10月8日、植民者ジョン・ハントが1枚の地図を書き上げたが、これは提督居宅、礼拝堂、倉庫、桶屋の仕事場および衛兵所など18の建物が描かれていた。ハントは植民者登録簿に製図工と記されていた。当時全ての建物が完成したかは明らかでない。ハントの地図は1888年にスペインの国立文書館で発見された。あるスパイがそれをスペイン大使に売り、その大使がスペインに送った。これは、今は失われた原書の写しである可能性があり、初期イギリス植民地の当初の配置を知る唯一の平面図となっている。




「ポパム植民地」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ポパム植民地」の関連用語

ポパム植民地のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ポパム植民地のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのポパム植民地 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS