ポパム植民地 その後の展開

ポパム植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 04:50 UTC 版)

その後の展開

フランス人植民者ジャン・ド・ビヤンクールが1611年に放棄された植民地の跡を訪れた。1624年マサチューセッツ湾植民地のサミュエル・マーベリックもこの地を訪れ、「草が伸び放題」になっていたと報告した。

南北戦争の間、北軍がこの地域のケネベック川がアトキンス湾に直接注ぐ所(ポパム植民地からは東に約500 m)にポパム砦を建設した。その後、何人かの農夫がこの地域に移住し1905年までは農地となり、この年にアメリカ陸軍がボールドウィン砦の補給のためのセントジョージ砦の地域を造り上げた。メイン州は1924年にこの地域を購入し、第二次世界大戦のときはボールドウィン砦が再活用された。戦後、その資産はメイン州に返還された。

今日、ポパム植民地を構成した地域の大半は人気のある海岸とレクリエーション地域であるポパムビーチ・メイン州立公園の一部となっている。

現代での発掘

1960年代に行われたこの地域の最初の発掘は不成功だった。1994年ピーボディ・エセックス博物館のジェフリー・ブレインがハントの地図を道しるべに植民地の跡を発見した。ブレインは1997年に大規模な発掘を始め、後に提督居宅、倉庫および酒類倉庫を発見した。また、ハントの地図が大変正確であることも証明した。砦の一部、おそらく礼拝堂と墓地を含む所は私有地にあって発掘ができず、砦の南側の部分は公共道路の下にある。この発掘は2005年に終わった。

参考文献

  • Richard L. Pflederer - Before New England: The Popham Colony (History Today January 2005)
  • Tom Gidwitz - The Little Colony That Couldn't (Archaeology magazine March/April 2006)

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