ボブ・ウェルチ (ミュージシャン) ボブ・ウェルチ (ミュージシャン)の概要

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ボブ・ウェルチ (ミュージシャン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/05 07:20 UTC 版)

ボブ・ウェルチ
Bob Welch
ボブ・ウェルチ(左側、1976年)
基本情報
出生名 Robert Lawrence Welch Jr.
生誕 (1945-08-31) 1945年8月31日
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
死没 (2012-06-07) 2012年6月7日(66歳没)
ジャンル ロックジャズ
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギターベース
活動期間 1970年 - 2012年
レーベル キャピトル・レコード
RCAレコード
Curb Records
エドセル・レコード
ライノ
ワン・ウェイ・レコード
共同作業者 Seven Souls (1964年-1969年)
Head West (1970年)
フリートウッド・マック (1971年-1974年)
パリス(1976年)
公式サイト www.bobwelch.com

生い立ち

ウェルチはショービジネスの家庭に生まれた。父のロバート・ウェルチはパラマウント映画で1940年代から1950年代にかけてで多くのヒット映画を手がけたプロデューサーであった。母のテンプルトンはシカゴオーソン・ウェルズ・マーキュリーシアターで歌手・女優として活動していた。少年の頃、ウェルチはクラリネットを学び、ティーンエイジャーの頃にはギターへと学ぶ楽器が変わっていた。彼はジャズリズム・アンド・ブルースロックへの興味をふくらませた。

初期の活動

1964年、ロサンゼルスを中心に活動するソウル・バンド「ザ・セブン・ソウルズ」にギタリストとして参加する。バンドはそこそこの成功をおさめるが、1969年に解散する。その後、パリへ渡ったウェルチは、ボビー・ハント(ハモンドオルガン)、ヘンリー・ムーア(ドラム)らと「ヘッド・ウエスト」というトリオを結成する。

フリートウッド・マック

1971年、フリートウッド・マックは、ピーター・グリーンとジェレミー・スペンサーの相次ぐ脱退を受け、新しいメンバーを探していた。ウェルチのカリフォルニア時代の友人で、フリートウッド・マックのマネージメントを手伝っていたジュディ・ウォン[1]はパリからウェルチを呼んだ。アメリカ進出を考えていたフリートウッド・マックには、アメリカ人であるウェルチの参加は好都合でもあり、ウェルチの曲や演奏をほとんど聞くこともなく、ダニー・カーワンのサイド・ギタリストという形で加入を決める。アルバム『キルン・ハウス』(1970年)ではゲスト・プレイヤーであったクリスティン・マクヴィーも加え、アルバム『フューチャー・ゲーム』(1971年)をリリースする。

ウェルチはクリスティン・マクヴィーとともに、それまでブルース・バンドであったフリートウッド・マックのサウンドを、ポップでメロディアスな方向に変化させて行き、その後『枯れ木英語版(Bare Trees)』(1972年)、『ペンギン英語版』(1972年)、『神秘の扉英語版(Mystery To Me)』(1973年)、『クリスタルの謎』(1974年)等、合計5枚のアルバムに参加している。1974年12月、ウェルチはバンドを脱退する。

フリートウッド・マックでの功績

ウェルチ在籍時代のフリートウッド・マックのアルバムはそれなりに売れており、アメリカレコード協会によれば、トータルすると『枯れ木』はプラチナム・アルバム、『フューチャー・ゲーム』と『神秘の扉』はゴールド・アルバムになる。『神秘の扉』からシングルカットされた「ヒプノタイズド」はヒット・チャートに入り、ポインター・シスターズなどがカバーしている。

ミック・フリートウッドはウェルチを脱退後もフリートウッド・マック・ファミリーの一員として扱っていたが、フリートウッド・マックが1998年にロックの殿堂入りしたときはメンバーとして扱われなかった。

パリス

1975年、ウェルチは元ジェスロ・タルのグレン・コーニック(ベース)と、元ナッズ(トッド・ラングレンの初期のバンド)のトム・ムーニー(ドラム)とのスリーピースバンド、パリスを結成し、キャピトル・レコードからアルバム『パリス・デビュー!!』(1976年)をリリース。ドラムをハント・セールスに替えアルバム『パリス・セカンド - ビッグ・タウン2061』(1976年)をリリースした。この後、仮称『パリス3』の製作にかかるが、セールスが顔面麻痺を病み、更にコーニックが音楽業界から身を引き、食品会社のマネージャーになったため、ウェルチはほとんど一人で『パリス3』の製作を進めることになる。


  1. ^ 後にグレン・コーニックと結婚し、パリスの結成にも関係する。
  2. ^ 『フレンチ・キッス』が、ほとんどウェルチの演奏(ドラムを除く)で録られているのはこのためである。
  3. ^ ベスト盤用に1曲だけレコーディングしている。
  4. ^ Former Fleetwood Mac member Bob Welch found dead USATODAY 2012年6月8日閲覧


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