フェルトペン 歴史

フェルトペン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 01:47 UTC 版)

歴史

フェルトペンは1791年イギリスの貴族によって考案されたのが最初とされる。室内の装飾へ用いられていたフェルトを切り取り、先が細くなった金属の筒へはめ込み、インクを染み込ませながら用いた。このアイデアがいつしか民衆に伝わり、19世紀の後半には工業的に生産されるようになった。[要出典](なお、この説は出所が不確かで、wikipediaのこのページが初出の可能性もある)

現在のフェルトペンにつながる初期の発明としては、1910年にはアメリカのLee Newmanがフェルトをペン先とするマーキングペンの特許を取得している[4]。また、1926年にはBenjamin Paskachがペン先にスポンジを用いた「fountain paintbrush」という発明の特許を取得している[5]。ただしこれらの発明は商品として発売されなかったので、普及はしていない。

1953年アメリカのシドニー・ローゼンタール(en:Sidney Rosenthal)が、「インクを入れたガラス管」と「フェルトのペン先」で構成されたペンを発明し、彼の会社であるスピードライ社(Speedry Chemical Products of Richmond Hill)から「マジックマーカー(Magic Marker)」として発売したことにより、フェルトペンの普及が始まる。当初は芸術用品市場を想定していたためか、商品名も「SPEEDRY BRUSHPEN」であった[6]。その後、1957年にスピードライ社は「マジックマーカー」の商標を取得[7] し、社名も1966年に「スピードライ社」から「Magic Marker(マジックマーカー社)」に変更された。「マジックマーカー」はラベリングや芸術の分野を中心として広く普及し、マーカーペンの代名詞となるが、ライバル社との競争によりマジックマーカー社は1980年に破産している。

1963年、大日本文具(後のぺんてる)が、世界初の水性マーカーとなる「ぺんてる サインペン」を発売。従来のマーカーペンが使っていた油性インクは紙に浸透しやいため、字が滲んだり裏うつりしたりすることが多かったが、インクを水性に変えることで、紙に書きやすくなった。また、従来のマーカーペンはペン先にフェルトを使っているため先端が太かったが、ぺんてるの「サインペン」はペン先にアクリル繊維を使うことで、細いペン先にすることが可能となった。当初はさっぱり売れなかったが、シカゴの文具国際見本市に出展したところ、字が書きやすいとアメリカのリンドン・ジョンソン大統領が気に入って大ヒット商品となり、その人気が逆輸入される形で日本でも普及する。

1950年代後半、アメリカのMartin Heitが発明し、アメリカのDri-Mark社から発売されたものが世界初のホワイトボードである。1968年には日本統計機が日本初のホワイトボードを発売し、同年には文具大手のパイロット萬年筆もホワイトボードを発売(パイロットは1968年に日本初のホワイトボードを発売したと主張しているが、日本統計機ではこれを「真似」だとしている[8])。当時のホワイトボードは、マーカーペンで書いた字を消すのに濡れた布かティッシュが必要だったため、不便だったので普及しなかったが、1975年にJerry Woolfがボードの表面に付着する速乾性のインクで乾いた布でも消せるペンを発明。その特許権をパイロットが取得し、世界初の「ホワイトボードマーカー」として発売したことでホワイトボードとホワイトボードマーカーの普及が始まる。

1971年、ドイツの文具メーカースタビロが世界初の蛍光ペン「STABILO BOSS」を発売する。

1973年呉竹が世界初の筆ペン「くれ竹筆ぺん」を発売する。筆ペンは「ペン先に繊維を使ったペン」という点でフェルトペンの仲間である。

1982年サクラクレパスが世界初の水性顔料サインペン「ピグマ」を発売。それまでの水性マーカーペンは染料を使用していたため耐水性・耐光性がなく、上から色を塗ったりすることができなかったが、顔料インクを使うことで、カラーのイラスト製作などにも耐えるようになった。この種のペンは、太さがミリ単位の線幅でラインナップをそろえることで「ミリペン」と呼ばれるようになり、プロの漫画家などにも愛用されることになった。

1990年ごろまで油性マーカーの溶剤としてトルエンキシレンが使われており、とても臭い上に人体に有害だった。そのため、1980年代後半よりアルコール系の溶剤を使った製品が発売された。その代表例が1987年にいづみや(後のToo)が発売したコピックである。コピーのトナーを溶かさないので「コピック」と名付けられた。特に1993年に発売された「コピックスケッチ」シリーズは、プロのイラスト製作にも耐える「アルコールマーカー」の代表として普及した。

日本での歴史

1953年(昭和28年)に寺西化学工業が、国産での油性マーキングペン「マジックインキ」を発売した。寺西化学工業のマジックインキは当初は黒、赤、青の3色だったが、1955年に8色セットを発売、1966年に太書きの「マジックインキ ワイド」を発売するなど、色と太さのバリエーションを増やすことによって人気を不動のものとしたため、日本ではフェルトペンのことを「マジック」と呼ぶことがある。

その後、1959年にパイロットが油性マーキングペン「スーパーカラーインキ」を発売、1963年に呉竹が水性インキで細字の「クレタケドリームペン」を発売するなど、その他の筆記具メーカーも追従するようにマーキングペンの販売を始めたため、輸入品は徐々に姿を消していくことになった。


  1. ^ 『世界レベルの大阪ええもん』 2007 [要ページ番号]
  2. ^ 商標登録 日本第505150号ほか。商標名は「マジックインキ」
  3. ^ 商標登録 日本第761981号、商標名は「PENTEL Sign PEN(ペンテルサインペン)」
  4. ^ Lee W. Newman, Marking Pen, U.S. Patent 946,149 Jan 11, 1910.
  5. ^ Fountain paintbrush”. Freepatentsonline.com. 2014年4月30日閲覧。
  6. ^ http://thefountainpencommunity.activeboard.com/forum.spark?aBID=111780&p=3&topicID=22669300&page=1&sort= - 海外のペンに関するコミュニティサイトで「Speedry Brush Pen」の写真がある。
  7. ^ 米国商標72009601ほか
  8. ^ ホワイトボードの歴史






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