ビデオ・アート
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アーティスト
北米
ナム・ジュン・パイクを筆頭に、ビル・ヴィオラ、ビト・アコンシ、ジョーン・ジョナス、ジョン・バルデッサリ、ダン・グレアム、ピーター・キャンパス、ウィリアム・ウェッグマン、マーサ・ロスラー、TVTV、ダグラス・ゴードンらが有名。スティーナ・ヴァスルカとウッディ・ヴァスルカのヴァスルカ夫妻のようなCGを使うアーティストもいる。
カナダのマイケル・ゴールドバーグは、日本でのビデオ・アート普及のために1971年にワークショップを行い、1972年に日本初のビデオ・アート展「ビデオ・コミュニケーション Do It Yourself Kit」展が開催されるきっかけとなった[8]。
ヨーロッパ
ポーランドのヴォイチェフ・ブルシェヴスキ、ドイツのウォルフ・カーレン、オーストリアのピーター・ウェイベル、イギリスのデイビッド・ホール、スイスのピピロッティ・リストなどが知られる。
日本
飯村隆彦、久保田成子、松本俊夫、山本圭吾、山口勝弘、小林はくどう、かわなかのぶひろ、宮井陸郎、原田大三郎、土佐尚子、萩原朔美、出光真子、和田守弘、中谷芙二子などが知られている。中谷、小林、かわなか、山口らは、日本初のビデオ・アーティストのグループとしてビデオひろば(1972年-1975年)でも活動した[9]。
出典・脚注
参考文献
- 阪本裕文「初期ビデオアートのメディアに対する批評性」(PDF)『Collaborative Cataloging Japan』2020年、2021年4月12日閲覧。
- 中谷芙二子「『ゲリラ・テレビジョン』訳者あとがき」『霧の抵抗 中谷芙二子展』フィルムアート社、2019年。
- ニーナ・ホリサキクリステンズ(Nina Horisaki-Christens)「日本のビデオアート黎明期における中谷芙二子の貢献」『霧の抵抗 中谷芙二子展』フィルムアート社、2019年。
- 李容旭「電子メディア時代の映像表現と創造性(1) : ナムジュン・パイクの場合」『東京工芸大学芸術学部紀要』第13巻、東京工芸大学芸術学部、2007年、13-18頁、ISSN 13418696、2021年4月12日閲覧。
関連文献
- 小林はくどう「ビデオというコミュニケーション・メディア」『霧の抵抗 中谷芙二子展』フィルムアート社、2019年。
- イヴォンヌ・シュピールマン 著、柳橋大輔, 遠藤浩介 訳『ヴィデオ──再帰的メディアの美学』三元社、2011年。(原書 Spielmann, Yvonne (2005), Video. Das reflexive Medium, Frankfurt an Main)
- 瀧健太郎, ビデオアートセンター東京 編『キカイデミルコト──日本のビデオアートの先駆者たち』現代企画室、2013年。
- クリス・メイ=アンドリュース 著、伊奈新祐 訳『ヴィデオ・アートの歴史──その形式と機能の変遷』三元社、2013年。(原書 Meigh-Andrews, Chris (2006), A History of Video Art: The Development of Form and Function, Berg)
- 山峰潤也「ビデオギャラリーSCAN」『霧の抵抗 中谷芙二子展』フィルムアート社、2019年。
注釈
出典
- ^ a b c d e f “ヴィデオ・アート”. artscape. 2021年4月12日閲覧。
- ^ a b “ビデオアートとは何ですか?”. ビデオアートセンター東京 (2008年). 2021年4月12日閲覧。
- ^ 李 2007.
- ^ a b c d 阪本 2020.
- ^ ホリサキクリステンズ 2019, p. 276.
- ^ 中谷 2019b, p. 323.
- ^ 齋藤理恵 (2014年). “阿部修也と《パイク=アベ・ヴィデオ・シンセサイザー》”. 表象文化論学会『REPRE』. 2021年4月12日閲覧。
- ^ “カナダのビデオ作家、マイケル・ゴールドバーグさん”. VIDEOART CENTER Tokyo (2009年12月26日). 2021年4月12日閲覧。
- ^ ホリサキクリステンズ 2019, p. 274.
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