ノイハウス (オーステ) 住民

ノイハウス (オーステ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/01 02:14 UTC 版)

住民

人口推移

最大集落のノイハウスは、1858年に266戸、1,904人が住んでいた。1821年には237戸、1,541人であった。その後、1885年には290戸と増加したが、人口は1,738人であった。

1987 1992 1997 2002 2007 2008 2009 2010 2011
人口(人) 1,314 1,356 1,291 1,285 1,212 1,186 1,153 1,148 1,150

いずれも12月31日時点の数値である[3]

宗教

宗教改革

宗教改革はこの地域に早くから影響を及ぼした。ノイハウスがまだゲーファースドルフ教区に属していた時、教区民によって選ばれた教区牧師が福音主義の教えを説教したが、最終的には聖堂参事会から派遣された聖職者アーレント・シュミットも1562年に亡くなるまでに新しい教えに転向した。ブレーメン大司教は1567年に福音主義に転向した。

最初の礼拝堂

ノイハウスは教会組織上はゲーファースドルフに属している。大司教は1621年に礼拝堂の建設を許可し、牧師館を寄進した。教会組織から雇用された説教者が毎週若者に教えを伝えた。洗礼や葬儀は引き続きゲーファースドルフで行われた。

1660年以後ノイハウス住民は改めてゲーファースドルフからの分離を果たそうと努めた。ノイハウスの人口がゲーファースドルフと同程度となり、公的活動のために教会までの道のりが遠く、さらにノイハウスには学校があり教師がいた。シュターデスウェーデン政府代理人であったハンス・クリストフ・フォン・ケーニヒスマルクドイツ語版英語版の息子コルト・クリストフ・フォン・ケーニヒスマルクの援助により、ノイハウスはイェーナ大学の査定後、1667年に独自の教区に昇格した。ケーニヒスマルク伯はこの教会に1550帝国マルクの資金と牧師を維持するための土地を寄進し、さらには大きな鐘を鋳造し、婦人は洗礼盤を寄贈した。

ノイハウスのエンマウス教会

エンマウス教会

レンガ造り、長方形のホール式建築でマンサード屋根を戴くバロック様式のエンマウス教会は、1729年に完成した。入り口のホールは1621年の礼拝堂の遺構から造られた。屋根の上の小塔は1729年に建設された。長堂の壁は、丸アーチの窓を持つ長方形の面で構成されている。

内部は木製で、半円形ヴォールト化粧漆喰が施されている。全面を2階席が取り囲んでいる。東の説教壇付き祭壇の壁はキリスト十字架像を戴いている。説教壇の手すりや天蓋にはキリストや福音史家の像がある。

1730年の台座を持つ1668年製の洗礼盤、古い祭壇画、装飾豊かな聖餐杯、1728年製の2つの祭壇の燭台、1667年の2人の初代聖職者のエピタフがある。似たような様式はドイツに2つだけしか存在しない極めて精緻な漆喰細工は18世紀初めに創作された。それは長さ 48 cm の楕円形のメダイヨンドイツ語版英語版の中に100人を超える人物を配した磔刑像で、イェルサレムの門前でドラマティックに躍動する群衆像を描いたものである。1989年に修復担当者が、2階席の手すりで、それまで塗装の下で良好に保存されていた絵画を発見した。

最良の状態で完全に保存された、シュターデのオルガン製作者ディートリヒ・クリストフ・グローガーによる1744年/45年製のオルガンは西の2階席にある。ハンブルクのオルガン製作工房ルドルフ・フォン・ベッケラートが1972年にこのオルガンを修復した。1990年にオルガンの4つのも復元製作された。

墓地の墓石のいくつかは19世紀に創られたものである[4]

ユダヤ教会

18世紀から19世紀には、ノイハウスに独自のユダヤ教会組織があった。ユダヤ人墓地は、ノイハウスとヴィングストのラムシュテットとの間の旧ポストヴェーク沿いにある。

カトリックの礼拝堂

カトリックのヘルツ・イェズ礼拝堂(聖心礼拝堂)は、オッテルンドルフに本部を置く聖十字架司祭区に属す。この礼拝堂はかつてのストッキング工場内に1960年に作られたものである。2013年に世俗化がなされた。

エホバの証人

ノイハウス/オーステには、エホバの証人の王国ホールがある。この組織は約 90人の信者で構成されている。


  1. ^ ドイツ語: Flecken、市場などがある比較的大きな町を意味する
  2. ^ アムト (ドイツ語: Amt) は、役場を意味する語であるが、ここでは地方行政単位である
  1. ^ Landesamt für Statistik Niedersachsen, LSN-Online Regionaldatenbank, Tabelle A100001G: Fortschreibung des Bevölkerungsstandes, Stand 31. Dezember 2021
  2. ^ Meyers-Conversations-Lexikon, 1853
  3. ^ Themenbereich: Bevölkerung - Tabellen”. Landesamt für Statistik Niedersachsen. 2019年8月16日閲覧。
  4. ^ Gottfried Kiesow et. al (1977). Handbuch der deutschen Kunstdenkmäler Teil: Bremen, Niedersachsen. Berlin / München: Dt. Kunstverl. ISBN 978-3-422-00348-4 
  5. ^ KDO-Wahlpräsentation - Gesamtergebnis Gemeinderatswahl Neuhaus (Oste) 11.09.2016”. 2019年8月20日閲覧。
  6. ^ Niedersächsisches Kommunalverfassungsgesetz (NKomVG) Vom 17. Dezember 2010, § 46 Zahl der Abgeordneten”. 2019年8月5日閲覧。
  7. ^ Niedersächsisches Kommunalverfassungsgesetz (NKomVG) Vom 17. Dezember 2010, § 47 Wahl und Wahlperiode der Abgeordneten”. 2019年8月5日閲覧。
  8. ^ “Die Gemeinde Neuhaus (Oste)”. https://www.stadte-gemeinden.de/gemeinde-neuhaus-oste.html 2022年10月16日閲覧。 
  9. ^ Rudolf Lembcke (1976). Kreis Land Hadeln. ed. Kreis Land Hadeln. Geschichte und Gegenwart. Otterndorf: Buchdruckerei Günter Hottendorff. p. 49 
  10. ^ Rudolf Lembcke; Wilhelm Lenz; Gert Schlechtriem, et al (1981). Männer vom Morgenstern. ed. Neuhaus (Oste) 
  11. ^ Neuhaus (Oste) - Wappen - Heraldry of the World”. 2019年8月20日閲覧。
  12. ^ G.F. Ulex Nachfolger”. 2019年8月20日閲覧。





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