トム・ヨーキー トム・ヨーキーの概要

トム・ヨーキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 15:11 UTC 版)

来歴・人物

1933年、前オーナーであるロバート・クインからボストン・レッドソックスを買収しオーナーに就任する。当時レッドソックスは1920年代の財政難からベーブ・ルースを筆頭に度重なる有力選手を放出した後で年間の観客数も18万人強にまで落ち込んでいた。ヨーキーはすぐに球団の建て直しに着手、ゼネラルマネージャーとしてかつての名内野手だったエディ・コリンズを招聘する。翌1934年には、本拠地フェンウェイ・パークの左翼フェンスの広告を全て外し、高いフェンスを緑一色に塗りつぶす決定をした。ヨーキーの思惑はあたったのか、この緑一色の高いフェンスは『グリーンモンスター』と呼ばれるようになり、現在のフェンウェイ・パークの名物ともなっている。

ヨーキーのオーナー就任以降、レッドソックスはリック・フェレルレフティ・グローブジミー・フォックスらの有力選手を次々に獲得、更にコリンズが発掘したボビー・ドーアテッド・ウィリアムズは1930年代終わりからチームの主力選手に成長するなど、チームは徐々に力をつけていった。1946年、レッドソックスは遂に28年ぶりにアメリカンリーグを制覇するまでになる。翌1947年、ヨーキーはライバルのニューヨーク・ヤンキースで9度のリーグ制覇を成し遂げたジョー・マッカーシーの引き抜きに成功、エディ・コリンズの勇退を受けゼネラルマネージャーにジョー・クローニンを据え、強豪チームへの足固めを行う。1948年にインディアンズとのプレーオフに敗れ、翌1949年には残り2試合でヤンキースに逆転され優勝をさらわれるなど不運が続き、チームはしばらく低迷するようになってしまったが1960年代に入ると再び名選手を次々と輩出するようになっていった。

1975年ワールドシリーズでレッドソックスが歴史に残る激戦を演じた翌年の1976年、ヨーキーはボストンで死去。1980年に発展貢献者としてアメリカ野球殿堂入りした。フェンウェイ・パークに通じる道路は彼の名をとって「ヨーキー・ウェイ」と名づけられている。

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