テレビ映画
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フィルムとビデオ
- フィルムによって撮影されたテレビ映画は、ビデオで撮影された作品に対して比較的古い年代の制作のものが現存している。これは1960年代から1970年初めごろまでビデオテープは高価であり、VTR撮影された番組は上書き録画してテープを使い回すことが多かったことによる。逆にテレビ映画は原版フィルムがほぼ全話保存されたものが多い。
- 時代劇や特撮等を中心に、ビデオの画調よりも、かつてのフィルムのそれが好まれることもある。そのため、HD24Pなどに代表される映画用デジタルビデオで撮影されている例も少なくない。テレビ朝日・東映の『スーパーヒーロータイム』はHD24Pを早くから導入し、地方局でも北海道テレビが2008年からスペシャルドラマを制作するに当たって制作サイドのこだわりから[38]でHD24Pを使って撮影を行なっている[39]。
参考資料
- 岡田晋吉『青春ドラマ夢伝説 あるプロデューサーのテレビ青春日誌』日本テレビ放送網、2003年。ISBN 4-8203-9863-6。
- 白石雅彦『円谷一 ウルトラQと“テレビ映画”の時代』双葉社、2005年。ISBN 4-575-29907-3。
- 田中純一郎『日本映画発達史』 4巻、中央公論社、1980年。全国書誌番号:81037372。
- 樋口尚文『テレビヒーローの創造』筑摩書房、1993年。ISBN 4-480-87226-4。
- 読売新聞社芸能部編著『テレビ番組の40年』日本放送出版協会、1994年。ISBN 4-14-080192-1。
- 瀬戸川宗太『懐かしのアメリカTV映画史』集英社新書 2005年
- 山下理介編集『テレビ30年 IN テレビガイド』東京ニュース通信社 1982年
- キネマ旬報 1997年7月2日号 臨時増刊『テレビの黄金伝説~外国テレビドラマの50年~』 キネマ旬報社
- 北野圭介著『ハリウッド100年史講義』平凡社新書 2001年
関連項目
- ^ ウイリアム・ボイド主演の西部劇「ホパロング・キャシディ」(日本では「我等がキャシディ」)は1935年から1948年まで66本が製作されて、それを1948年11月からテレビ用に再編集して放映された。またジョン・ウェインの無名時代の10年間に出演した西部劇を30分前後編で放映されている。
- ^ 一方日本でも、1956年から東映で製作された『警視庁物語シリーズ』をその後TVシリーズとして放映されている。
- ^ a b 高橋浩『視聴率15%を保証します! あのヒット番組を生んだ「発想法」と「仕事術」』小学館新書、2014年、pp.86-94
- ^ かつてテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」の前に「土曜洋画劇場」が放送されて、「日曜洋画劇場」(淀川長治)が大作を放映し、それ以外の作品を放映していたが、やがてTVムービーをそのまま放映することが多かった。その時に解説者が「テレビ劇映画」と説明していた。
- ^ この場合は一体型のビデオカメラではなく、別途設置の録画機材と接続していた。
- ^ 初期の大河ドラマでは1965年「太閤記」や1969年「天と地と」などは野外での合戦シーンはフィルムであった。また「太閤記」の本能寺の変や1966年「源義経」の義経の最期は全てフィルム撮影であった。
- ^ アメリカでも初期の「トワイライト・ゾーン」のいくつかのエピソードがスタジオからの映像で、それを映した映像画面をフィルム撮影したもの(キネコと呼ばれた)で日本に輸入されているものがあった。
- ^ 初期には「ロビンフッドの冒険」、「アイバンホー」、人形劇「サンダーバード」、「プリズナー№6」「ザ・セイント」「名犬ロンドン物語」などがあるがアメリカに比べると少ない。
- ^ この時代には録画記録するものとしてテレビ画面を直接フィルムで撮影して、そのフィルムで後から再放送する方式もあった。またVTRは日本よりも少し早く1956年頃には使用しており、「エド・サリバン・ショー」もきれいなビデオテープで映像が保存されている。
- ^ 初期のブラウン管はアメリカが17インチ、日本では14インチが標準であった。
- ^ 日本では毎週製作して年間52本で続ける形態があるが、アメリカではこの時代は年間39本で夏期間はお休みするのが普通であった。やがて60年代に入ると年間26本前後の製作本数が通常となった。
- ^ これらの中には「ちびっこギャング」「3ばか大将」などがあり、また前述のローンレンジャーも戦前のB級西部劇からの流れであった。
- ^ リパブリック、モノグラムなど。
- ^ 毎週同じ顔ぶれのレギュラー出演でストーリーが展開される。基本は1回ごとに話の区切りがある1話完結方式である。この方式の欠点は出演俳優が固定化することで、やがてこのことがテレビ映画の衰退につながった。
- ^ 後の日本での土曜ワイド劇場と同じ形式で、1964年開局した当時の東京12チャンネル(現・テレビ東京)が放映した「プレイハウス90」がこのジャンルに属する。そしてこの「プレイハウス90」に出演した俳優(スティーブ・マックイーンなど)が60年代以後に大物スターになっていった例が多い。
- ^ なお90分のシリーズとしては1962年の西部劇「バージニアン」が最初である。
- ^ ミノー委員長の発言は西部劇などの暴力場面や他のバラエティ番組の低俗さを指摘したとされている。しかし今日のテレビ内容から比較するとこの時代のテレビ映画の内容はまだ軽いものであった。
- ^ 当然35mmフィルムで撮影されて、テレビ局のCMタイムを考えて最初の脚本段階からCMまでに細かいエピソードが終わるようにしてシークエンスする(画面が黒くなって終わる)。古い旧作映画を放映する時に、ありがちなストーリー展開で重要な場面で突然コマーシャルが入って興ざめすることのないようにシナリオ作りがされている。
- ^ ただしこの作品は暴力的すぎるとしてテレビ局が放映せず、結局劇場公開された。
- ^ 1971年にテレビ放映され、翌年日本で劇場公開されその後テレビでの放映もされている。そして本国アメリカで劇場公開されたのは1983年である。
- ^ 「刑事コロンボ」がTVミニシリーズとされたが、アメリカではTVシリーズの範疇に入っている。
- ^ その後も「ケインとアベル」「ホロコースト」などが放映された。
- ^ 「The FBI」や「ナポレオンソロ」が放映したエピソードを劇場用に編集して劇場公開を60年代半ばに行っている。なおこの形式はすでに日本でも「七色仮面」が1960年に東映が行っている。
- ^ この項は「ハリウッド100年史講義」北野圭介著 209~209P 参照。
- ^ 正確には民放初のサスペンスドラマの連続番組というほうが正しい。1953年8月に開局した日本テレビが10月25日(日)の夜から毎週放送した『わが家の日曜日記』が連続ホームドラマのはしりであり、ほぼ同じ時期にNHKで連続ホームドラマ『幸福への起伏』がスタートしている。前者は半年、後者は3か月の放送であった。コメディーでは日本テレビが1954年3月からフランキー堺と中村メイコで『二人でお茶を』(2年間放送)、同年6月から『エノケンの水戸黄門漫遊記』(半年間放送)がスタジオドラマとしてあった。『テレビ30年 IN テレビガイド』8~12P参照
- ^ これより1年前の1955年に同じKRTがアニメの『スーパーマン』を放映している。輸入されたものとしてはこちらの方が早い。
- ^ 松竹、東宝、東映、大映、新東宝の5社で結んだが、後に新東宝が倒産して日活が加わった。
- ^ これはこの時までに各社の古い映画をNHKも民放も放送していたが、その放送料の金額で対立したことが発端であった。
- ^ 3か月後に30分に拡大した。
- ^ 各社に呼びかけたがどこも手を上げなかったので、広告代理店が自主的に製作したものである。しかもカメラは報道で使う手巻きのハンディカメラで音声録音は出来ず、フィルムの長さが限定されて、それほど長いカットの撮影が出来なかったと言われている。しかしそのことで逆に短いカットを積み重ねることによってテンポの速い展開になったと言われる。
- ^ 撮影場所に宜弘社の社長宅の部屋とガレージを使った。
- ^ 「豹の眼」「まぼろし探偵」「七色仮面」「少年ジェット」「ナショナルキッド」「快傑ハリマオ」など。
- ^ さらに日本テレビは1959年 - 1961年にかけて、後述の日米映画と共同で製作した10作品ほどのテレビ映画を、放送直後に新東宝の配給で劇場公開するという、当時では珍しい試みを行っていた(この点で、テレビ局制作による劇場映画の先駆けといえる)。
- ^ それ以降も東映は現在のテレビ朝日ホールディングスにおける筆頭株主で、朝日新聞社は第2位株主である。
- ^ その系譜は現在の角川大映スタジオにつながる。
- ^ ただし、東映は放映後に劇場公開をすることで35mmフィルムを使っていた。
- ^ ただ、その過渡期において撮影や照明、美術などで、16mmフィルム撮影の技術や環境を一部そのままビデオ撮影でも踏襲したため、フィルム撮影の時には発生しなかった、陰影や深みのない平板な画像になってしまったり、撮影用装置のうち建物など大道具の粗雑さが目だったりと、ビデオ撮影のノウハウを習得し終わらないままでフィルム撮影からビデオ撮影に移行した現場の状況もあった。
- ^ 演出の藤村忠寿は、2008年8月17日放送の『はい!テレビ朝日です』内のインタービューにて、「映画を作るつもりで制作した」と述べている。
- ^ スペシャルドラマ自体は1996年から制作されているがVTR撮影だった。
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