テルモピュライの戦い テルモピュライの戦いの概要

テルモピュライの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 23:49 UTC 版)

テルモピュライの戦い
ペルシア戦争

ジャック=ルイ・ダヴィッド『テルモピュライのレオニダス』(1814年ルーヴル美術館
戦争ペルシア戦争
年月日紀元前480年8月
場所ギリシアのテルモピュライ
結果:ギリシア軍の敗退
交戦勢力
ギリシア連合軍 アケメネス朝
指導者・指揮官
レオニダス1世  クセルクセス1世
戦力
7,000(スパルタ重装歩兵 300、スパルタ軽装歩兵1,000) 210,000 (専門家によって異なるが、実際は60,000から300,000と推定されている)
損害
1,300以上(スパルタ重装歩兵全滅、スパルタ軽装歩兵壊滅または全滅) 20,000以上
ペルシア戦争

この戦いはアルテミシオンの海戦と並行して行われ、圧倒的な戦力差にも関わらずギリシア軍は優勢であったが、最終的に背後に回り込まれて敗退した。しかし、スパルタ軍とテスピアイ軍は全滅するまで戦い、ペルシア軍を3日間に渡って食い止め、クセルクセスの兄弟を二人戦死させた。これは、スパルタ軍の勇猛さと地形をうまく利用したためと言われている。


  1. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,175
  2. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,206。スパルタなど他のペロポネソス半島の諸都市が本隊を送らなかったのは、最初からイストモスを防衛する意図があったためと推察する向きもある。仲手川良雄『テミストクレス』p120-p122。
  3. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,207
  4. ^ a b ヘロドトス『歴史』巻7,210
  5. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,211
  6. ^ ヘロドトスはこの情報をもたらした人物について、複数の説を挙げている。ヘロドトス『歴史』巻7,213-216
  7. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,218
  8. ^ スパルタとテスピアイの兵は自らの意思で残ったが、テーバイ兵については、レオニダスによって無理矢理留め置かれた。ヘロドトス『歴史』巻7,222
  9. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,223
  10. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,224-225
  11. ^ ヘロドトス『歴史』巻7,228
  12. ^ Simonides_of_Ceos (Wikiquote)


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