スリランカ鉄道
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現地語社名 |
Sri Lankan Railways(英語) ශ්රී ලංකා දුම්රිය සේවය (シンハラ語) இலங்கை புகையிரத சேவை(タミル語) |
---|---|
種類 | 国営企業 |
業種 | 陸運業 |
設立 | 1858年 |
本社 | 、 |
事業地域 | スリランカ |
主要人物 |
M.J.D Fernando , ゼネラルマネージャー[1] |
サービス | 鉄道事業 |
売上高 | 66.2億[2]スリランカ・ルピー (2016) |
利益 | 53.7億[2]スリランカ・ルピー (2016) |
所有者 | スリランカ政府 |
従業員数 | 約14,400人[3] |
ウェブサイト |
railway |
スリランカ鉄道 | |
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スリランカの鉄道路線網 | |
報告記号 | SLR |
軌間 | 1676mm |
電化 | 0 km |
全長 | 1,508 km |
スリランカの鉄道輸送一般については「スリランカの鉄道」も参照のこと。
概要
運輸・民間航空省の部局として設置されている。1858年にセイロン国営鉄道として開業して以来、国内各地域の主要都市と首都コロンボを結ぶ鉄道として運営されてきた。スリランカの鉄道はほぼスリランカ鉄道が担っており、一日あたり約35万人の乗客と貨物を輸送している。加えてスリランカ最大の雇用主の一つでもあり、1万4千人を雇用している。路線の総延長は1,508km、駅の数は312に及ぶ。また138両の機関車、500両の客車、683両の貨車、そして128両のタンク車を保有する[4]。
歴史
開業
1864年、英領セイロン時代のスリランカに初めて鉄道が導入された。導入当初の目的は内陸の丘陵地域にある茶畑、コーヒー畑から積み出し港のあるコロンボまで茶葉、コーヒーを輸送することであり、メインラインのコロンボ - アンベプッサ間54kmが最初に開業した[5]。
その後、メインラインは1867年キャンディ、1874年ナワラピティヤ、1885年ナヌオヤ、1894年バンダーラウェラ、1924年バドゥッラと徐々に延伸され[6]、 他の路線は1880年マータレーライン 、1895年コーストライン、1905年ノーザンライン、1914年マンナールライン、1919年ケラニバレィライン、1926年プッタラムライン、1928年バッティカロアライン、トリンコマリーラインの順に開業した。 その後80年以上[7]スリランカの鉄道網に大規模な変化はなかった。
黄金時代
1955年から1970年までの15年間はスリランカ鉄道の黄金時代と呼ばれ[8]、正確で快適な鉄道を目指して主要駅の改装や速達列車の導入が行われた。1953年まで使用されていた蒸気機関車もこの時期にディーゼル機関車に移行した[9]。
衰退期
20世紀後期、1970年からの30年間はスリランカ鉄道の衰退期であった[10]。経済の中心がプランテーション農業から製造業へ移行し、道路網が整備されていくにつれて鉄道の整備は後回しにされた。 また、それにつれて貨物輸送の中心も鉄道からトラックへ移行していった。スリランカ鉄道はこの30年間で他の国のような技術革新を十分に行えなかったため、所要時間が長い、時刻が正確でないなどの問題を解決できず、2011年には旅客輸送での市場占有率が7%まで落ち込んだ[11]。
復興期
2010年代前期から、スリランカ政府は鉄道発展のための十ヶ年計画を開始し、従来車を置き換えるため新型の気動車を発注した[8][10][12]。2004年のスマトラ島沖地震で発生した津波によって被害を受けたコーストラインは2010年から2年間にかけてスピードアップ工事が行われ、最高時速100kmでの運行が可能になり[13]、さらにマータラを経由してハンバントタまで向かう延伸工事が行われている[14]。また、30年にわたる内戦によって寸断されていたノーザンラインも2015年には復旧し、ジャフナ、カンケサントゥライまでの全線が内戦前の状態に戻った[15]。
運行形態
スリランカ鉄道では貨物輸送の他に主要都市を結ぶ都市間鉄道とコロンボ都市圏内の通勤列車を運行している[16]。ほとんどのインターシティには車両等級が設定されている。
都市間鉄道
列車種別
- インターシティ(Intercity express) - 最速達列車。乗車のためには追加料金が必要。
- 夜行列車(Night mail) - 貨物輸送を伴う夜行列車。
- 急行(Express) - コロンボと乗換駅、主要都市を結ぶ列車。
- 普通列車(Suburban) - 各駅停車。
車両等級
- 1等寝台車 - 複数の夜行列車で利用可能。寝台が設置されている。
- 1等展望車 - メインラインの昼行列車で利用可能。主に列車の最後尾に設置されているが、機関車の直後の場合もある。
- 1等エアコン車 - [17]メインライン、ノーザンラインの急行列車で利用可能。
- 2等車・3等車 - 全てのインターシティ、夜行列車で設定されており、指定席と自由席がある。
スリランカ鉄道の線路を利用してインターシティを運行しているラジャダニ・エクスプレスとエキスポ・レールではかつて数多くのインターシティで優等サービスとして車内で紅茶やスナック、料理などが提供されていた。
通勤列車
通勤列車はコロンボ都市圏でのみ運行されている[18]。ほとんどの通勤列車はディーゼル機関車で運行され、インターシティのような車両等級は設定されていない[19]。通勤列車はコロンボ市街地の交通渋滞を解決する可能性を秘めており、現在はエネルギー効率を高めるために電化が検討されている[20]。
- ^ “Head of Organisation”. Sri lanka Railways. 2017年1月15日閲覧。
- ^ a b “Performance Report - 2016: Department of Sri Lanka Railway”. parliament.lk. The Parliament of Sri Lanka. 2018年3月7日閲覧。
- ^ “Overview”. Sri Lanka Railways. 2012年2月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月6日閲覧。
- ^ “SLR at a Glance” (英語). www.railway.gov.lk. 2019年9月13日閲覧。
- ^ “Ceylon Railway Enthusiasts Circle (CREC)/SLRF” (英語). スリランカ鉄道145周年記念誌. (2010年1月2日)
- ^ “Cameos of the past: First train on line to Badulla from Colombo” (英語). Sunday Observer. (2010年7月19日). オリジナルの2016年3月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Construction of Matara-Kataragama railway line in Southern Sri Lanka begins” (英語). Colombo Page (2010年4月6日). 2019年9月9日閲覧。
- ^ a b Farzandh, Jiffry (2011年12月19日). “B. D. Rampala - an engineer par excellence” (英語). Ceylon Daily News. オリジナルの2012年1月13日時点におけるアーカイブ。 2012年1月3日閲覧。
- ^ “Rampala regime in the local Railway History” (英語). The Island. (2010年7月19日)
- ^ a b “Power sets to steam long distance travel” (英語). Dailynews. (2010年9月3日). オリジナルの2012年3月8日時点におけるアーカイブ。
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- ^ “Railway gets new power sets from China” (英語). Dailynews. (2010年4月23日). オリジナルの2012年3月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ Dissanayake, Ridma (2012年4月11日). “Southern railway line re-opens today” (英語). Ceylon Daily News. オリジナルの2012年4月13日時点におけるアーカイブ。 2012年9月11日閲覧。
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- ^ “Sri Lanka gives northern rail rebuilding deal to India’s IRCON” (英語). Lanka Business Online. (2010年8月18日). オリジナルの2011年10月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Samudra Devi in a Tangle of Love!” (英語). The Island. (2009年7月12日). オリジナルの2011年9月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Train travel in Sri Lanka | Timetables, fares, tickets, advice” (英語). www.seat61.com. 2019年9月10日閲覧。
- ^ “Railway Electrification: Let us Start, at least now” (英語). The Island. (2010年3月27日). オリジナルの2010年7月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Samudra Devi in a Tangle of Love!” (英語). The Island. (2009年7月12日). オリジナルの2011年9月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “IESL proposes railway electrification project” (英語). Daily News. (2010年12月25日). オリジナルの2012年3月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Rolling Stock: Sri Lanka in 60 mln dlr train deal with China” (英語). Lanka Business Online. (2007年5月11日). オリジナルの2012年5月6日時点におけるアーカイブ。 2011年11月6日閲覧。
- ^ “A new paradigm for providing economic services” (英語). Daily FT. (2011年8月3日). オリジナルの2012年4月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ Warakapitiya, Kasun (2017年2月5日). “Passengers hold their noses at racist, incompetent railway” (英語). Sri Lanka Sunday Times 2017年3月26日閲覧。
- ^ “China - Sri Lanka’s top lender in 2009” (英語). (2010年4月18日). オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。 2019年4月27日閲覧。
- ^ Mapatunage, Prasad Sachintha (2012年9月23日). “Sri Lanka can easily enforce a car-free day” (英語). The Sunday Times 2012年9月26日閲覧。
- ^ a b “線路での「自分撮り」取り締まり、死亡事故相次ぐスリランカ”. AFPBB News. (2017年6月14日) 2021年7月16日閲覧。
- ^ “スマトラ沖地震で大津波が襲ったスリランカ、鉄道復旧への道”. エキサイトニュース. (2011年11月10日) 2021年7月16日閲覧。
- 1 スリランカ鉄道とは
- 2 スリランカ鉄道の概要
- 3 運行路線
- 4 外部リンク
- スリランカ鉄道のページへのリンク