スパンエアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 17:19 UTC 版)
概要
西アフリカへの拡張に加え、スペイン国内、ヨーロッパ内に定期旅客便ネットワークを提供していた。国際的なチャーター便はツアー会社のためにも運航を行っていた。ここの主要な空港はアドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港 (MAD)、及び バルセロナ・エル・プラット国際空港 (BCN) のハブ空港と共に、パルマ・デ・マヨルカ空港 (PMI) で、2535人のスタッフを抱えていた。
歴史
スパンエアーは1986年12月に設立され、1988年3月から運航が開始された。スカンジナビア航空(SAS)と Viajes Marsans(es) との合弁会社として設立され、ヨーロッパ地域へのチャーター運航を開始した。
アメリカ合衆国、メキシコ、及びドミニカ共和国への長距離路線の運航は1991年に始まり、1994年3月に国内線定期運航を開始した。1990年代後半にワシントン及びブエノスアイレスへボーイング767-300ER型機を使用した長距離路線の運航を行った。スパンエアーは2003年にスターアライアンスに加盟した。
マイレージプログラムは大株主のスカンジナビア航空の「SASユーロボーナス」に統合されず、独自プログラムである「スパンエアープラス(Spanair Plus)」を運営していた。
スカンジナビア航空グループ(SAS・94.9%)及びMarsansグループ(5.1%)が株主であったが、2008年、スカンジナビア航空はスパンエアーの株式売却を決定し、スペインのフラッグ・キャリアであるイベリア航空が購入する意向を示していたが、実現には至らなかった。 その後、2009年1月31日にスペインの投資コンソーシアム・Iniciatives Empresarials Aeronàutiques(IEASA)が株式の80.1%を取得し、残り19.9%はSASが保持することとなった。[2]
2012年1月27日、スペインの現地時間・午前6時(日本時間・同日午後2時)をもって、全便の運航を停止した[3]。その後、同年1月30日、マドリード首都裁判所より破産宣告と会社清算命令が下され、事実上倒産し、スターアライアンスからも脱退した。なお、スパンエアーの破産の1週間後には、マレーヴ・ハンガリー航空(ワンワールド)が運航停止となった。
就航路線
スパンエアーは以下の都市へ就航していた (2005年1月現在):
- 国内線定期便就航地:ア・コルーニャ、アリカンテ、アストゥリアス州、バルセロナ、ビルバオ、フエルテベントゥーラ、イビサ、ランサローテ、ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア、マドリード、マラガ、パルマ・デ・マヨルカ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、セビリア、テネリフェ、バレンシア 及び ビーゴ。
- 国際線定期便就航地:アンコーナ、アテネ、ベルリン、ケルン、コペンハーゲン、ダブリン、エディンバラ、フランクフルト・アム・マイン、リスボン、ロンドン、マラボ、ミュンヘン、ニース、オスロ空港、パリ、ストックホルム、テッサロニキ、ウィーン 及び チューリッヒ。
固有名詞の分類
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