ステファニー・レイヒ ステファニー・レイヒの概要

ステファニー・レイヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/31 09:17 UTC 版)

ステファニー・レイヒ
基本情報
ラテン文字名 Stephanie Rehe
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州
フォンタナ
生年月日 1969年11月5日(46歳)
身長 180cm
体重 66kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1982年
引退年 1993年
ツアー通算 7勝
シングルス 5勝
ダブルス 2勝
シングルス 151勝99敗
ダブルス 71勝59敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(1992・93)
全仏 4回戦(1987)
全英 3回戦(1985・88)
全米 4回戦(1986・88)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(1992)
全仏 1回戦(1988・91)
全英 2回戦(1988・91)
全米 3回戦(1988・92)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 10位
ダブルス 10位

概要

彼女の両親はドイツ人で、「レイヒ」(Rehe)という姓はドイツ系の名前である。自己最高ランキングはシングルス10位、ダブルス10位。WTAツアーでシングルス5勝、ダブルス2勝を挙げた。身長180cm、体重66kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

レイヒは1982年12月、女子テニス史上最年少の「13歳1か月」でプロ入りし、翌1983年に最年少でWTAツアーのコンピューター・ランキングに名前を連ねた。当時の女子テニス界では、10代半ばで世界トップに躍進する早熟なスター選手たちの成功の影響で、若手選手のプロ入りの低年齢化が加速していた。1982年10月に西ドイツシュテフィ・グラフが「13歳4か月」でプロ入りしたが、レイヒはグラフよりもさらに早い年齢でプロ選手になる。しかし、1979年1981年全米オープン優勝者として最年少世界ランキング1位になったトレーシー・オースチンが慢性的な背中の故障を抱えたことから、若手女子選手の“燃え尽き症候群”が懸念されるようになり、レイヒのプロ転向後間もなく「14歳未満」の女子選手のプロ入りを禁止する規定が設けられた。

レイヒ自身は1985年に女子ツアーでシングルス2勝を挙げ、1986年全米オープンで初めて4大大会の4回戦に勝ち上がった。その後1987年全仏オープン1988年全米オープンで4回戦進出があるが、レイヒは4大大会でベスト8以上の成績を出すことはできなかった。キャリアの後半に、レイヒはダブルスに活路を見い出し、1992年全豪オープン女子ダブルスでオランダブレンダ・シュルツとペアを組んだ準決勝進出がある。1992年の「ジャパン・オープン」では女子ダブルスで伊達公子とペアを組んだこともあり、平木理化エミー・フレージャー組に 7-5, 6-7, 0-6 で敗れて準優勝になった。最年少プロテニス選手の記録を残したステファニー・レイヒは、1993年3月に23歳4か月の若さで現役を引退した。

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