サミー・ジアマルバ・ジュニアとは? わかりやすく解説

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サミー・ジアマルバ・ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 08:12 UTC 版)

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サミー・ジアマルバ・ジュニア
Sammy Giammalva Jr.
基本情報
愛称 サミー
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・テキサス州ヒューストン
生年月日 (1963-03-24) 1963年3月24日(58歳)
身長 177cm
体重 75kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1980年
引退年 1989年
ツアー通算 6勝
シングルス 2勝
ダブルス 4勝
生涯通算成績 318勝303敗
シングルス 162勝164敗
ダブルス 156勝139敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1982)
全仏 2回戦(1986)
全英 4回戦(1985)
全米 3回戦(1980)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(1983-85・88)
全仏 1回戦(1986・87)
全英 ベスト8(1983)
全米 3回戦(1983・88)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 28位
ダブルス 22位

サミー・ジアマルバ・ジュニア(Sammy Giammalva Jr.、1963年3月24日 - )は、アメリカテキサス州ヒューストン出身の元男子プロテニス選手。ライス大学卒業。自己最高ランキングはシングルス28位、ダブルス22位。ATPツアーでシングルス2勝、ダブルス4勝を挙げた。

来歴

同名の父親サミー・ジアマルバもテニスの名選手であった(彼は略称のサム・ジアマルバ名義で活動した)。兄のトニー・ジアマルバもプロテニス選手である。

父親のサム・ジアマルバは、1950年代デビスカップなどで活躍したアマチュアの名選手で、1958年全米選手権男子ダブルス準優勝の実績を持つ人である。息子のジアマルバ・ジュニアは、1980年に17歳でプロデビューし、この年の全米オープンで3回戦に進出した。彼の4大大会最高成績は、1982年全豪オープンのベスト8進出である。当時の全豪オープンは、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」で年末の12月に開催されていた。この年から男子シングルスは「96名」の選手による7回戦制に拡大され、32名の選手に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。ジアマルバ・ジュニアは「1回戦不戦勝」の選手として、2回戦から3試合を勝ち上がったが、準々決勝で第2シードのスティーブ・デントンアメリカ)に 6-4, 3-6, 3-6, 6-2, 3-6 のフルセットで敗退した。

全豪オープン8強進出の翌年、ジアマルバ・ジュニアは1983年ウィンブルドン男子ダブルスにて、ヘンリク・スンドストローム(スウェーデン)と組んでベスト8に進出した。この後、「ジャパン・オープン」男子ダブルスで優勝する。パートナーは同じアメリカのスティーブ・メイスターと組み、決勝で「ガリクソン兄弟」(トム・ガリクソンティム・ガリクソンは双子の兄弟)を 6-4, 6-7, 7-6 で破った。1984年には「セイコー・スーパー・テニス」のダブルスで、兄のトニー・ジアマルバとの兄弟ペアで優勝を飾った。ダブルス4勝のうち、2つを日本の大会で獲得したことから、ジアマルバ・ジュニアは日本で高い知名度を持っていた。

1982年全豪オープン以後の4大大会では、1985年ウィンブルドンの4回戦でジミー・コナーズに 3-6, 4-6, 3-6 のストレートで敗れた。彼はテニス経歴を通じて、ウィンブルドン選手権とは相性が良かった。1988年2月のフィラデルフィア大会では、ジアマルバ・ジュニアがピート・サンプラスのプロデビュー戦の対戦相手になった。

1989年に現役を引退した後は、故郷のヒューストン北郊でテニスクラブを経営する傍ら、ジュニア選手の育成活動を行っている。

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