ジェシー・ワシントンリンチ事件 殺人と逮捕

ジェシー・ワシントンリンチ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 07:23 UTC 版)

殺人と逮捕

2006年のマクレナン郡裁判所

1916年5月8日、テキサス州ロビンソン英語版で、ルーシー・フライヤーが1人で自宅にいるところを殺害された[8]。彼女は殴打されて死亡し、農場の種子小屋(seed shed)の入り口に横たわっているところを発見された。死体の状況はおぞましい性的暴行の痕跡を示していた。当局は鈍器によって殺人が行われたと結論した。彼女と夫のジョージはイギリスからの移民であり、農場を経営し地元の尊敬を得ていた[9]。この殺人事件の報せは迅速にマクレナン郡の保安官サミュエル・フレミング(Samuel Fleming)に伝わり、彼はただちに法執行官(law enforcement officers)、地元の男性グループ、そして医師からなるチームと共に調査を行った。医師はフライヤーが頭部に加えられた鈍器損傷によって殺害されたと結論した。地元の男性たちはフライヤー家の農場で5ヶ月働いていた17歳の黒人男性、ジェシー・ワシントンが疑わしいとした[10]。ある男性はルーシーの遺体が発見される数分前にワシントンをフライヤー夫妻の家のそばで見たと証言した[11]

その夜、保安官たちの代理人はワシントンの家に行き、血の付いた仕事着(overall)を着ている彼を家の前で発見した[10]。彼はこの汚れは鼻血が付いたものだと言った[12]。ジェシーと彼の兄弟ウィリアム、そして両親はウェーコの郊外に連れられ、郡の保安部門から質問を受けた。ジェシーの両親と兄弟はすぐに解放されたが、ジェシーは弁護士も両親も同席しないまま更なる尋問のために拘束された。ウェーコの質問担当者(questioners)は、ジェシーがフライヤーの死について関与を否定したが、その行動について矛盾した説明を行ったと報告した[10]。ワシントン一家が逮捕された後、殺人事件の数日前にジェシーが白人男性と口論していたという噂が広まった[11]。このような噂によって頻繁に容疑者やリンチの被害者が犯罪者とされた。

5月9日、保安官フレミングは自警団の行動を防ぐためワシントンをテキサス州ヒル郡へ連れて行った。ヒル郡の保安官、フレッド・ロング(Fred Long)はワシントンとフレミングから聞き取りをした。ワシントンは最終的に彼女の騾馬を巡っての口論の後、彼女を殺害したと供述し、凶器とその場所について説明した[13]。ワシントンは遠くテキサス州ダラスへ移され、フレミングはロビンソンに戻った。フレミングはすぐにワシントンが供述した血のついたハンマーを発見したと報告した。ダラスでワシントンはフライヤー夫人をレイプし殺害したと口述し、それに署名した。この自白は翌日のウェーコの新聞に掲載された[14]。新聞はワシントンの攻撃に対するフライヤー夫人の抵抗を記述し、この殺人を大々的に取り上げた。しかし、医師は彼女の体を調べ、彼女がいかなる抵抗もする前に殺害されたと結論付けていた[15]。その夜、リンチのために集まった群衆が地元の刑務所を探し回ったが、ワシントンを見つけることができず解散した[14]。地元紙は彼らの行動を賞賛した。また、同じ夜、ルーシー・フライヤーのための葬儀が親族によってささやかに行われ、彼女は埋葬された[16]

5月11日、大陪審がマクレナン郡で結審し、すぐにワシントンに対する起訴を決定した[訳語疑問点]。この公判は5月15日に予定されていた[14]。ウェーコのタイムズ・ヘラルド英語版紙は5月12日に、ワシントンの運命を決定する司法制度に住民を参加させるよう求める告知を発表した[17]。保安官フレミングは住民を落ち着かせるために5月13日にロビンソンに行った。彼の取り組みは好評であった[18]。ワシントンには数名の経験の浅い弁護士が割り当てられた[19]。この弁護士たちは答弁の準備をしておらず、公判の前日に彼は穏やかに見えたと記録した[20]


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