サッカーユーゴスラビア代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 04:18 UTC 版)
概要
サッカーユーゴスラビア代表は1920年から1939年まではユーゴスラビア王国サッカー代表として、1945年から1992年まではユーゴスラビア連邦サッカー代表として存在した。ただし、ユーゴスラビア連邦は国名が何度か変更されている。
基本的なデータ
最多失点での敗北は3度あり、1度目は、ユーゴスラビア代表の国際ゲームデビュー戦となった、アントワープオリンピックでのチェコスロバキア戦、2度目もオリンピックで1924年パリオリンピックのサッカー競技でのウルグアイ戦、3度目が翌1925年のチェコスロバキア戦である。
最多得点での勝利は、1972年にブラジルで開催されたタッサ・インデペンデンシアでのグループリーグにおいて、ベネズエラに10-0で勝利している。
ユーゴスラビア代表の最初のインターナショナルマッチは1920年8月28日に行われたアントワープオリンピックにおけるサッカー競技、アントワープで行われた試合で、チェコスロバキア代表に0-7で敗北している。
最後の試合は、1992年のUEFA欧州選手権に向けたテストマッチで、同年3月25日にオランダのアムステルダムで行われたオランダ代表との試合に0-2で敗北している。東ドイツ、ソ連、チェコスロバキアとは異なり、この最後は選手、スタッフ、協会関係者及びサポーターにとって最後の試合になると予期しえぬものであった。
ユーゴスラビア代表を後継するチーム
1991年から1993年にかけて国家としてのユーゴスラビアが崩壊すると、同時にサッカーユーゴスラビア代表も崩壊した。以降旧ユーゴスラビア構成諸国家によりナショナルチームが編成される事になり、1991年から1993年にかけて以下のナショナルチームに分裂した。
- サッカーユーゴスラビア代表
- サッカークロアチア代表
- サッカースロベニア代表
- サッカーボスニア・ヘルツェゴビナ代表
- サッカーマケドニア共和国代表(現:サッカー北マケドニア代表)
このうち、セルビアとモンテネグロによって構成されていたユーゴスラビアは2003年にセルビア・モンテネグロに政体を変更し、ナショナルチームもサッカーセルビア・モンテネグロ代表になった。さらに2006年にはセルビア・モンテネグロも解体され以下の2チームが誕生した。
さらに、以下のチームは2016年に国際サッカー連盟(FIFA)、欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟するまでは未承認のナショナルチームとして活動していた。
コソボは1991年にユーゴスラビアからの独立を宣言し、以降コソボ代表はFIFAやUEFAに加盟を承認されるまでの間、コソボを国際的に承認した唯一の国であるアルバニアやFIFAに加入していないNF-Board加盟国等と数試合の国際試合を行っていた。
- ^ “ブラジル紙、歴史的な敗戦と報じる”. nikkansports.com (日刊スポーツ新聞社). (2014年7月9日) 2014年7月9日閲覧。
- ^ “Yugoslavia 8-4 Brazil”. footballzz.com. 2014年7月9日閲覧。
- ^ “Selektori i selektorske komisije 1920 - danas” (セルビア語). Orlovi : Fudbalska reprezentacija Srbije. 2013年11月6日閲覧。
- サッカーユーゴスラビア代表のページへのリンク