エチオピアのフルメンティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 03:58 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動エチオピアのフルメンティ | |
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大主教 | |
他言語表記 |
ゲエズ語ラテン文字表記: frēmnāṭōs 英語表記例: Phrumentios, Frumentius |
死没 | 383年頃 |
崇敬する教派 | 東西教会 |
記念日 |
8月1日(エチオピア正教会) |
守護対象 | アクスム帝国 |
フルメンティはシロフェニキア・ギリシャ人(Syro-Phoenician Greek)としてティルスに生まれたが、幼少の頃に奴隷としてアクスム皇帝に売られ、アビシニアに移り住んだ。宮廷の近くで成長するとともにアクスム皇帝の知己となり、皇帝の子の教師となった。のちに皇帝の許可を得て一時帰郷した際(326年[1])にアレクサンドリアに立ち寄り、聖大アタナシオスに会う。その際、アタナシオスから主教に叙聖されてアビシニアに戻った。以後、アクスム皇帝に洗礼を授けたのをはじめとして、多くのエチオピア人に伝道を行い、多くの聖堂を建てた。エチオピア人達からは「我らの父」「平和の父」と呼ばれた。エチオピアでは、新約聖書を現地の言葉に最初に翻訳したのはフルメンティであるとも伝えられている。
アリウス派とアタナシオス派の論争ではホモウシオス(アタナシオス派の主張)を支持した[1]。
記念日
コプト正教会はフルメンティの記念日を12月18日としており[4]、一方正教会は11月30日を[5]、カトリック教会は10月27日を記念日としている。
外部リンク
- Sainted Phrumentios, Archbishop of Inda (Aethiopia, formerly Abysssinia) - ロシア正教会・至聖三者教会内ページ (英語)
- Edesius and Frumentius - カトリック百科事典内ページ (英語)
- ^ a b c Chisholm, Hugh, ed. (1911). Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. .
- ^ ブリタニカ百科事典第11版では300年頃生、360年頃没としている。
- ^ フルーメンティオスとも転写出来る。
- ^ Date of Feast/Consecration as Bishop of Ethiopia
- ^ “Friday, November 30, 2018”. goarch.org. 2018年11月30日閲覧。
- 1 エチオピアのフルメンティとは
- 2 エチオピアのフルメンティの概要
固有名詞の分類
カトリック教会の聖人 |
トマス西 パウロ エチオピアのフルメンティ エウスタキウス エイステイン・エルレンズソン |
聖書翻訳者 |
山口昇 松山高吉 エチオピアのフルメンティ ドウェイト・ウィットニー・ラーネッド ジョン・ダービ |
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