ウズベキスタンの人口統計 ウズベキスタンの人口統計の概要

ウズベキスタンの人口統計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:46 UTC 版)

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ウズベキスタンの人口の変化 (単位:百万人): 1950年-2008年1月1日
ウズベク人の子供

人口統計上の傾向

レギスタン広場の前でポーズを取る子供。ウズベキスタンの全人口の4分の1は14歳以下で構成されている。
ウズベキスタンの老人
民族衣装を纏ったブハラの人々

2011年7月時点において、ウズベキスタンは中央アジア最大となる2810万人の人口を有し[1]、中央アジア全体のほぼ半分の人々がウズベキスタンに住んでいる。

ウズベキスタンの人口構成は若年層に偏りが有り、34.1%が14歳以下である。公式資料によると、ウズベク人が全人口の80%を占める主流民族である。他の少数民族としてはロシア人 5.5%、タジク人 5%、カザフ人 3%、カラカルパク人 2.5%、タタール人 1.5% (1996年の統計)がいる[1]が、タジク人の人口比率に関しては異論が幾つかある。タジク人の人口比率を5%とするウズベキスタン政府の公式データには様々な理由により人口調査ではウズベク人と回答しているタジク人が一定数存在すると考えられているためである[2]。複数の西洋の学者が匿名の「オブザーバー」や「周辺地域のタジク人」などの資料を引用して、ウズベキスタン国内のタジク人の人口比率を約20%[3]もしくはそれ以上となる25%-30%と推定している[4]

以上に挙げた民族の他に、ウズベキスタンには1937年から1938年にかけてソビエト極東から強制移住させられた朝鮮民族である高麗人が存在する。また、タシュケントサマルカンドにはアルメニア人も少数ながら居住している。ウズベキスタン国民の88%がムスリム (スンナ派が多数派であり、シーア派は5%)であり、ロシア正教会が9%、その他が3% (この中には統一教会系などその他のキリスト教宗派、仏教バハイ教などが含まれる)[5]ブハラ・ユダヤ人はウズベキスタンを始めとする中央アジアに何千年にわたって住んでいる。1989年の調査では94,900人のユダヤ人がウズベキスタンに居住していた[6](同年の全人口の約0.5%を占めていた) が、ソビエト連邦崩壊後は多くのユダヤ人がアメリカ合衆国イスラエルへと出国していった。2007年時点において、ウズベキスタン国内には5,000人を下回るユダヤ人のみが生活している[7]

ウズベキスタンの国民の大部分はソビエト連邦時代にはコルホーズと呼ばれる集団農場において綿花栽培に従事していた。独立後も地方ではその経済を綿花栽培に大きく依存する状況が続いている一方で、ウズベキスタンの農業構造は1990年以降、集団農場形式から個人経営方式へと大きく変化している。

人口動態統計

ブハラの祭りに参加する少女
スイカを売るブハラの女性

人口

出生数と死亡数を年代ごとに示した一覧[8][9]

平均人口 (単位:千人) 出生数 死亡数 自然増加数 粗出生率 (千人当り) 粗死亡率 (千人当り) 自然増加率 (千人当り)
1980 15 952 540 047 118 886 421 161 33.9 7.5 26.4
1981 16 376 572 197 117 793 454 404 34.9 7.2 27.7
1982 16 813 589 283 124 137 465 146 35.0 7.4 27.7
1983 17 261 609 400 128 779 480 621 35.3 7.5 27.8
1984 17 716 641 398 132 042 509 356 36.2 7.5 28.8
1985 18 174 679 057 131 686 547 371 37.4 7.2 30.1
1986 18 634 708 658 132 213 576 445 38.0 7.1 30.9
1987 19 095 714 454 133 781 580 673 37.4 7.0 30.4
1988 19 561 694 144 134 688 559 456 35.5 6.9 28.6
1989 20 033 668 807 126 862 541 945 33.4 6.3 27.1
1990 20 515 691 636 124 553 567 083 33.7 6.1 27.6
1991 21 009 723 420 130 294 593 126 34.4 6.2 28.2
1992 21 509 680 459 140 092 540 367 31.6 6.5 25.1
1993 22 005 692 324 145 294 547 030 31.5 6.6 24.9
1994 22 478 657 725 148 423 509 302 29.3 6.6 22.7
1995 22 918 677 999 145 439 532 560 29.6 6.3 23.2
1996 23 319 634 842 144 829 490 013 27.2 6.2 21.0
1997 23 685 602 694 137 331 465 363 25.4 5.8 19.6
1998 24 030 553 745 140 526 413 219 23.0 5.8 17.2
1999 24 372 544 788 130 529 414 259 22.4 5.4 17.0
2000 24 724 527 580 135 598 391 982 21.3 5.5 15.9
2001 25 090 512 950 132 542 380 408 20.4 5.3 15.2
2002 25 467 532 511 137 028 395 483 20.9 5.4 15.5
2003 25 849 508 457 135 933 372 524 19.7 5.3 14.4
2004 26 226 540 381 130 357 410 024 20.6 5.0 15.6
2005 26 593 533 530 140 585 392 945 20.1 5.3 14.8
2006 26 947 555 946 139 622 416 324 20.6 5.2 15.4
2007 27 291 608 917 137 430 471 487 22.3 5.0 17.3
2008 27 217 646 096 138 792 507 304 23.7 5.1 18.6
2009 27 509 649 727 130 659 519 068 23.6 4.7 18.9
2010 28 001 634 810 138 411 496 399 22.4 4.8 17.9
2011 29 123 626 881 144 585 482 296 21.5 5.0 16.5
2012 29 994 21.0 4.9 16.1
2013 28 528
2014 29 188
2015 29 525
2016 29 907
2017 30 121
2018 30 500
2019 30 823

合計特殊出生率

子供を抱えるウズベキスタンの女性

CIAワールド・ファクトブックによると、ウズベキスタンの合計特殊出生率 (TFR) は2011年時点で1.89となっている[1]

2002年時点のTFRは2.92であり、民族構成別ではウズベク人2.99、ロシア人1.35、カラカルパク人2.69、タジク人3.19、カザフ人2.95、タタール人2.05、その他2.53となっていた。また、地域別では、タシュケント1.96、カラカルパクスタン共和国2.90、フェルガナ2.73、東部地方2.71、中東部2.96、中央部3.43、西部3.05となっていた[10]

ソビエト連邦時代の合計特殊出生率の高さは大家族や農業自給を基本とする歴史的、文化的な姿勢に起因しており、ソビエト連邦時代の子供の相対価値の大きさはウズベキスタンに良い方向へ働くこととなった[11]妊娠中絶避妊を行い際に最適な方法とされていた。1955年に法制化されたことにより、妊娠中絶の数は1956年から1973年の間に231%の増加を示した[12]。1991年までに、中絶率は成人女性1,000人あたり39人となっていた[13]

しかし、過去数十年の間に、避妊を行うための方法は中絶から子宮内避妊器具 (IUD) に代表されるような現代的な避妊法へと変化していった。1980年代なかばには、女性に現代的な避妊法を導入することを目的とした政府の政策によりIUDが避妊法の主流を占めるようになった。2002年のUHESの報告書によると、既婚女性の73%がIUDを使用しており、男性の14%がコンドームを、13%がピルを使用していると回答した[14]

ウズベキスタン政府はソビエト連邦崩壊後に発生した国家経済の悪化から、出生率を制御する現代的な避妊法の使用を推進している。従って、政府はIUDを広める際に影響力を持っている。避妊には複数の方法があることを女性に示す家族計画プログラムを実施しているものの、IUDは依然女性が避妊を行う際の第1選択肢となっている。実際の避妊の医療現場や家族など周囲の環境においてもIUDを強く勧められることが多い。しかし、階級や教育レベルといった要素によれば、女性に多様な避妊法の選択肢を示すべきであると考えられる。


  1. ^ a b c d e f Uzbekistan in CIA World Factbook
  2. ^ a b Uzbekistan”. Country Reports on Human Rights Practices - 1999. U.S. Department of State, Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor (2000年2月23日). 2013年3月11日閲覧。
  3. ^ a b Svante E. Cornell, "Uzbekistan: A Regional Player in Eurasian Geopolitics?", European Security, vol. 20, no. 2, Summer 2000.
  4. ^ a b Richard Foltz, "The Tajiks of Uzbekistan", Central Asian Survey, 15(2), 213-216 (1996).
  5. ^ International Religious Freedom Report for 2004”. U.S. Department of State, Bureau of Democracy, Human Rights, and Labor (2004年9月15日). 2013年3月11日閲覧。
  6. ^ a b World Jewish Population 2001, American Jewish Yearbook, vol. 101 (2001), p. 561.
  7. ^ a b World Jewish Population 2007, American Jewish Yearbook, vol. 107 (2007), p. 592.
  8. ^ United nations. Demographic Yearbooks
  9. ^ The State Statistics Committee of the Republic of Uzbekistan
  10. ^ A.I. Kamilov, J. Sullivan, and Z. D. Mutalova, Fertility, Chapter 4 in Uzbekistan Health Examination Survey 2002.
  11. ^ Cynthia Buckley, “Challenges to Integrating Sexual Health Issues into Reproductive Health Programs in Uzbekistan,” Studies in Family Planning 37(3) (2006-09), 157.
  12. ^ Magali Barbieri, Elena Dolkigh, and Amon Ergashev. “Nuptiality, Fertility, Use of Contraception, and Family Planning in Uzbekistan,” Population Studies: A Journal of Demography (1996) 50: 1, 69-88.
  13. ^ Cynthia Buckley, Jennifer Barrett, and Yakov P. Asminkin, “Reproductive and Sexual Health Among Young Adults in Uzbekistan” Studies In Family Planning (2004-03), 4.
  14. ^ Jennifer Barrett and Cynthia Buckley, “Constrained Contraceptive Choice: IUD Prevalence in Uzbekistan,” International Family Planning Perspectives (2007-06), 52.
  15. ^ Library of Congress, A Country Study: Uzbekistan. Ethnic composition
  16. ^ A Country Study: Uzbekistan. Ethnic composition, Appendix Table 4.
  17. ^ Results of population censuses in Uzbekistan in 1959, 1970, 1979, and 1989.
  18. ^ Ethnic Atlas of Uzbekistan, Part 1: Ethnic minorities, Open Society Institute, p. 195 (ロシア語).
  19. ^ Nancy Lubin. “Uzbekistan: The Challenges Ahead,” Middle East Journal vol. 43, Number 4, 1989-08, 619-634.
  20. ^ Radnitz 2006, p. 658
  21. ^ Richard Foltz, "The Tajiks of Uzbekistan", Central Asian Survey, 213-216 (1996).
  22. ^ Fane 1998, p. 292-293
  23. ^ a b [1]
  24. ^ Pew Global Attitudes
  25. ^ Scott Radnitz, “Weighing the Political and Economic Motivations for Migration in Post-Soviet Space: The Case of Uzbekistan,” Europe-Asia Studies (2006-07): 653-677.
  26. ^ a b c Erkin Ahmadov (2007年8月21日). “Fighting Illegal Labor Migration in Uzbekistan”. Central Asia Caucasus-Institute Analyst. 2013年3月11日閲覧。
  27. ^ International Organization for Migration, Uzbekistan,”. iom.int. 2013年3月11日閲覧。
  28. ^ International Crisis Group, Uzbekistan: Stagnation and Uncertainty, Asia Briefing, 2007-08-22
  29. ^ Radnitz 2006, p. 659
  30. ^ Daria Fane, “Ethnicity and Regionalism in Uzbekistan: Maintaining Stability Through Authoritarian Control,” in Leokadia Drobizheva, Rose Gottemoeller, Catherine McArdle Kelleher, and Lee Walker, ed., in Ethnic Conflict in the Post-Soviet World: Case Studies and Analysis (New York: M.E. Sharp, Inc., 1998), 271-302.


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