ウォリングフォード (コネチカット州)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/20 06:07 UTC 版)
ウォリングフォード | |
---|---|
町 | |
Wallingford | |
標語: "偉大なニューイングランドの町"[1] | |
ニューヘイブン郡内の位置 | |
北緯41度27分23秒 西経72度48分15秒 / 北緯41.45639度 西経72.80417度座標: 北緯41度27分23秒 西経72度48分15秒 / 北緯41.45639度 西経72.80417度 | |
国 | アメリカ合衆国 |
州 | コネチカット州 |
郡 | ニューヘイブン郡 |
ニューイングランド市町地域 | ニューヘイブン |
地域 | 南中地域 |
設立 | 1670年 |
政府 | |
• 種別 | 町長・市政委員会方式 |
• 町長 | ウィリアム・W・ディキンソン・ジュニア |
面積 | |
• 合計 | 39.9 mi2 (103.3 km2) |
• 陸地 | 39.0 mi2 (101.1 km2) |
• 水域 | 0.9 mi2 (2.2 km2) |
標高 | 151 ft (46 m) |
人口 (2022年)推計[2] | |
• 合計 | 44,017人 |
• 密度 | 1,100人/mi2 (430人/km2) |
等時帯 | UTC-5 (東部標準時) |
• 夏時間 | UTC-4 (東部夏時間) |
郵便番号 |
06492 |
市外局番 | 203 |
FIPS code | 09-78740 |
GNIS feature ID | 0213522 |
ウェブサイト |
www |
歴史
ウォリングフォードは1667年10月10日、コネチカット植民地議会が38人の開拓者とフリーマンに「川の東岸に村を造ること」を承認したときに設立された。クィニピアック川に沿った砂質の平原の上にある丘陵の尾根の「長いハイウェイ」が現在のウォリングフォード町メインストリートである。1670年5月12日、ウォリングフォードの町が法人化され、この時の人口は126人だった。6エーカー (24,000 m2) の区画が設定され、1675年までに今日のメインストリートに沿って40軒の家が並んでいた。1775年、さらに1789年、ジョージ・ワシントンがウォリングフォード町を通った。
1690年代、ウォリングフォードはニューイングランドで起きた魔女裁判騒動の一か所だった。「ウォリングフォードの魔女」と呼ばれたウィニフレッド・キング・ベナムとその娘のウィニフレッドが、魔法を使ったという容疑で3度裁判に掛けられた。この2人は無罪であると証明されたが、ウォリングフォードを去って、ニューヨーク市のスタテン島に行くことを強制された[3]。
19世紀、ウォリングフォードの産業は小さなピューターとブリタニア・ウェアの製造者がかなり集中して発展することになった。19世紀半ばまでに、ロバート・ウォレスが洋白の調合法を取得し、サミュエル・シンプソンと共にR・ウォレス & カンパニーを設立し、それがウォレス・シルバースミスの前身となった。小さな銀とブリタニアの多くの工場が合併して「インターナショナル・シルバー・カンパニー」を結成し、本社は メリデン市に、幾つかの工場はウォリングフォードに置いたのがこの時代でもあった。1877年、H・L・ジャッド・マニュファクチャリング社が、サウスチェリー通りに広がる金属器工場施設で、町の中心街下部のほとんど100年間にわたる支配を始めた。長い間には真鍮食器、衣類用金物、第二次世界大戦中の武器のメーカーとして変遷し、1989年、ジャッド広場コンドミニアムと呼ばれる著名な工場を住宅に転換したものとなった。
1871年10月、ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道のウォリングフォード鉄道駅が完成した。マンサード屋根、飾りのあるブラケット、格子編みの外部角にある隅石で著名であり、鉄道拡大の最盛期だったユリシーズ・グラント大統領政権の時代に建設されたこの種建築物として数少なくなった残っている建物となっている。町は州と連邦政府の助けを得て、1990年代初期に屋根と外観の解体修理を行った。この駅は現在、ニューヘイブン・ハートフォード・スプリングフィールド通勤鉄道線の一部として建て替えが計画されており、現在はアムトラックの「バーモンター」や「ノースイースト・リージョナル」号が走っている。
ウォリングフォードは、ウィンストン・チャーチルの高祖父アーロン・ジェローム(1764年-1802年)、発明家で出版者であり1846年にAP通信を設立することになったモーゼス・イェール・ビーチ(1800年-1868年)、歌手のモートン・ダウニー(1901年-1985年)、保守派トークショー司会者モートン・ダウニー・ジュニア(1932年-2001年)、ジョージア州知事でアメリカ独立宣言署名者でもあったライマン・ホール(1724年-1790年)の出生地である。第一次世界大戦でエース・パイロットだったラオール・ラフベリー(1885年-1918年)は子供時代をウォリングフォードで過ごした。
地理
アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、町域全面積は39.9平方マイル (103.3 km2)であり、このうち陸地39.0平方マイル (101.1 km2)、水域は0.9平方マイル (2.2 km2)で水域率は2.16%である。
ウォリングフォードの町はニューヘイブン郡北部のクィニピアック川に跨っている。メリデンの南5マイル (8 km)、ニューヘイブンの北約13マイル (21 km) に位置している。ハートフォード・ニューヘイブン・スプリングフィールド回廊に属し、アメリカ国道5号線、州間高速道路91号線、コネチカット州道15号線(ウィルバー・クロス・パークウェイ)、州道68号線、同71号線、同150号線が町内を通っている。
主要な地区
- イーストウォリングフォード
- クィニピアック(一部はノースヘイブンに入る)
- トレイシー
- ウォリングフォード・センター
- イェールズビル
- ^ “Town of Wallingford, Connecticut”. Town of Wallingford, Connecticut. 2012年9月22日閲覧。
- ^ “Quickfacts.census.gov”. 2023年11月20日閲覧。
- ^ Witchcraft cases in the 17th Century New England as exerped from John Putnam Demos' book Entertaining Satan: Witchcraft and the Culture of Early New England, 1983, http://alicemariebeard.com/history/witch.htm
- ^ Meriden, CT. Amtrak. 2016年7月2日閲覧
- ^ Vermonter. P2. Amtrak. 2016年1月11日. 2016年7月2日閲覧 (PDFファイル)
- ^ Northeast Corridor. P2-P3. Amtrak. 2016年5月2日. 2016年7月2日閲覧 (PDFファイル)
- ^ North Corridor. P2-P3. Amtrak. 2016年5月2日. 2016年7月2日閲覧 (PDFファイル)
- ^ “American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
- ^ “Registration and Party Enrollment Statistics as of October 25, 2005” (PDF). Connecticut Secretary of State. 2006年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年10月2日閲覧。
- ^ The ESPN Baseball Encyclopedia. Sterling Publishing. (2007). pp. 1789. ISBN 1-4027-4771-3
- ^ “D.J. Cotrona”. TV.com. 2014年1月13日閲覧。
- ^ Train Station
- ^ National Park Service (13 March 2009). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. 2020年10月12日閲覧。
- 1 ウォリングフォード (コネチカット州)とは
- 2 ウォリングフォード (コネチカット州)の概要
- 3 交通
- 4 経済
- 5 スポーツ
- 6 参考文献
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