ウィリアム・ドワイト・ホイットニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 02:26 UTC 版)
人物情報 | |
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生誕 |
1827年2月9日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ノーザンプトン |
死没 | 1894年6月7日 (67歳) |
出身校 | ウィリアムズ大学 |
学問 | |
研究分野 | 言語学 |
研究機関 | イエール大学 |
経歴
1827年、マサチューセッツ州のノーザンプトンで生まれた。彼の父親はニューイングランドのドワイトファミリーの出身であるジョサヤ・ドワイト・ホイットニー(1800-1833)である。母親はサラ・ウイルトン(1800-1833)である[1]。ウィリアムは15歳でウィリアムズ大学に入学し、1845年に卒業した。その後数年間ノーザンプトンの銀行で働きつつ学習を続け、その後1849年にスペリオル湖地域の地質的調査を行っていた兄のジョサヤ・ホイットニーを手伝った。調査の余暇にサンスクリット語の研究をはじめた。
1850年代、ドイツに行き、3年間サンスクリット語を研究した。冬はベルリン大学においてアルブレヒト・ヴェーバーやフランツ・ボップの下で過ごし、夏はテュービンゲン大学のルドルフ・フォン・ロートの下で研究を行った[2][3]。ドイツでの研究を通して、彼は、サンスクリット語の文献学者として、広く知られるようになった。1854年、イエール大学のサンスクリット語の教授となる。1869年には比較言語学の教授となった。また、シェフィルド科学校にて、現代言語学を教えた。1857年からアメリカ東洋学会の書記を務め、1884年には会長に就任した[4]。ホイットニー通りで、1894年6月7日に死去した[5]。
家族・親族
1856年の8月28日に、彼は、エリザベス・ウースター・ボウルドインと結婚した。エリザベスは、コネティカット州の知事で上院議員のロジャー・シャーマン・ボウルドインの娘であった。この夫婦は6人の子供を授かった[1]。
- エドワード・ボウルドイン・ホイットニーは、1857年8月16日に生まれて、アメリカの司法長官になった。また、息子のハスラー・ホイットニーは数学者である。
- ウィルストン・クラップ・ホイットニーは、1859年4月2日に生まれて、1861年3月11日に死去した。
- マーティン・パーク・ホイットニーは、1863年1月6日に生まれて、1874年1月17日に死去した。
- ロジャー・シャーマン・ボウルドイン・ホイットニーは、1863年1月6日に生まれて、1874年1月17日に死去した。
- エミリー・ヘンリッタ・ホイットニーは、1864年8月29日に生まれた。
- マーガレット・ドワイト・ホイットニーは、1866年11月19日に生まれた。
研究内容・業績
- ホイットニーは、ウェブスター辞典の1864年版の改定に携わった。1869年、アメリカ言語学協会 の設立者および初代会長を務めた。彼は、ヴェーダを韻文で翻訳した。ヴェーダ及び言語学に関する大量の論文を執筆し、その多くは『Oriental and Linguistic Studies』シリーズ(1872–74)に収録されている。彼は、言語に関するいくつかの著書と、英語、フランス語、ドイツ語およびサンスクリット語の文法教材を書いた[4]。
- ホイットニーの『サンスクリット文法』(1879)はパーニニによって書かれたとされるアシュターディヤーイーに対する批判によって注目される。彼はアシュターディヤーイーを「約4000くらいの代数学のような規則の高度に精巧で難しい形式の、言語上の事象を含んでいる(陳述や構成において、簡潔さを専らにして詳細さや明瞭さを犠牲にした)」と述べている[6]。
- フェルディナン・ド・ソシュールは、『一般言語学講義』の「記号の可易性と不易性」の章において、言語記号の恣意性を主張した人物としてホイットニーを挙げている。
- 彼は、晩年、心臓病を患っていたが、1889年から1891年にかけて出版されているセンチュリーディクショナリー初版の編集責任者であった。
- ^ a b Benjamin Woodbridge Dwight(1874). The history of the descendants of John Dwight, of Dedham, Mass. 2. J. F. Trow & son, printers and bookbinders. pp. 833–837
- ^ "Whitney, William Dwight". New International Encyclopedia. 1905.
- ^ Rines, George Edwin, ed. (1920). "Whitney, William Dwight". Encyclopedia Americana.
- ^ a b Smith, Benjamin Eli (1911). "Whitney, William Dwight". Encyclopædia Britannica (11th ed.)
- ^ NY Times staff (June 7, 1894). "Prof. W.D. Whitney is Dead". The New York Times. Retrieved February 13, 2012.
- ^ Whitney, William Dwight. Sanskrit Grammar. Reprinted 2002, Motilal Banarsidass, Delhi. ISBN 81-208-0620-4
- 1 ウィリアム・ドワイト・ホイットニーとは
- 2 ウィリアム・ドワイト・ホイットニーの概要
- 3 作品
- 4 外部リンク
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