イド語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 03:50 UTC 版)
概要
1907年に審議を開始した国際語選定委員会はルイ・クテュラの提示した改造案「イード」を修正案として取り入れるよう、エスペラント創始者ルドヴィコ・ザメンホフにそれを求めた[4]。
このエスペラント改造案には多くのエスペランティストが、国際語の完成の期待を寄せた。多くの人は不完全なエスペラントがその発展にブレーキをかけるのではないかと思った。エスペラントの改造をしようとした人が数多く、1884年にエスペラントを初めて作ったザメンホフも、現在イド語に入っている複数形の-iの使用と対格形の-nをほとんどの場合でなくして、語順のため曖昧な場合だけ続けてすることを提案したが、可決には至らなかった。
ルイ・ド・ボーフロンはパリで行われた国際語選定代表者会で、国際語案の候補として、このエスペラントの改造案、「イド」を発表した。この改造案が発表された後、国際エスペラント運動は重大な分裂が続いた。この新しい計画は特にプロの言語学者から支持を受けた。しかし、エスペラントはボーフロンのような指導者無しに言語として確立したが、イディスト(イド語使用者)は発表後も文法規則を頻繁に変えていったため、一般のエスペランティスト達の支持を受けられなくなっていった。1920年代に入って改造はほぼ収束したものの、時はすでに遅く、多くのイディストたちが離れてしまった後だった。
ただし、組織化されたイド運動は現在でも存在し、インターネットのウェブページと少数の使用者たちによって支えられている。エスペラントのように一年に一回大会を開くが、エスペラントの世界大会が2000人程度であるのに対し、イド語大会の参加者は2001年以後、毎年20人未満の参加である[5]。
- ^ エスペラント - 異端の言語 (田中克彦) p.87
- ^ a b 国際共通語の夢 (二木紘三) p.96
- ^ 国際共通語の夢 (二木紘三) p.101
- ^ 国際共通語の夢 (二木紘三) p.99
- ^ Ido-konferiにあるイド大会報告(2001年-2007年大会)の報告記事ないし集合写真
- ^ a b 国際共通語の夢 (二木紘三) p.102
- ^ a b イド語初級講座 第00課
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