アーノルド・スティーヴンソン・ラウントリー アーノルド・スティーヴンソン・ラウントリーの概要

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アーノルド・スティーヴンソン・ラウントリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/30 18:52 UTC 版)

アーノルド・スティーヴンソン・ラウントリー
Arnold Stephenson Rowntree
庶民院議員
任期
1910年1月10日 – 1918年12月14日
John Butcherとサービング
前任者 Hamar Greenwood
Denison Faber
後任者 John Butcher
選挙区 シティ・オブ・ヨーク選挙区
個人情報
生誕 (1872-11-28) 1872年11月28日
ヨーク
死没 (1951-05-21) 1951年5月21日(78歳没)
国籍 イギリス
政党 自由党
配偶者 メアリ・キャサリン・ハーヴェイ
ジョン・スティーヴンソン・ラウントリー
教育 ブーサム校

背景

ラウントリーは、ヨークジョン・スティーヴンソン・ラウントリーとその妻エリザベス・ホウサム (Elizabeth Hotham) の間の息子として生まれた。慈善家、チョコレート製造業者として知られたジョセフ・ラウントリー(1836年 – 1925年)の甥であった。クエーカーの学校であるブーサム校英語版に学んだ。1907年に、リーズ出身のメアリ・キャサリン・ハーヴェイ (Mary Katharine Harvey) と結婚した。夫妻の間には、3男3女が生まれた[1]

政治

ラウントリーは、全国成人学校評議会 (the National Adult School Council) の名誉書記 (Honorary Secretary) であった。彼は、1910年1月イギリス総選挙英語版で当選し、ヨーク選出の庶民院議員となった。クエーカーであった彼は、戦争に反対し、第一次世界大戦が始まると早い段階で反戦グループの民主的統制連合英語版に関わったが、自由党からの圧力を受けて、グループから離脱した。彼はまた、自由党の同僚トーマス・エドマンド・ハーヴェイ英語版とともに、1916年兵役法英語版良心的兵役拒否の規定を盛り込む修正をした。同年、ラウントリーは、非戦闘的任務をも拒んだためにフランスの戦線に送られ、リッチモンド・シックスティーン英語版と呼ばれた良心的兵役拒否者たちのグループの支援にもあたった[2]

ラウントリーは、第一次世界大戦直後の1918年イギリス総選挙で落選し、以降は事業に専念した。しかし、その後もヨーク自由協会 (York Liberal Association) や教育センター協会 (Educational Centres Association) の会長などを歴任した。

実業

ラウントリーは、家業であったチョコレートココア)製造業ラウントリーズ社の役員であった。また、ノース・オブ・イングランド新聞社 (North of England Newspaper Co. (Limited)) の役員でもあったほか、The Nation、the Westminster Press and Associated Papers の役員でもあった[3]

ラウントリーは、ジョセフ・ラウントリー・リフォーム・トラスト (Joseph Rowntree Reform Trust) の創設期の理事の一人であり、1904年から1951年までその任にあり、また1925年から1938年にかけては、創設者であるジョセフ・ラウントリーの後を受けて理事長を務め、後にはシーボーム・ラウントリーに後を託した[4]


  1. ^ Debrett's House of Commons and Judicial Bench, 1916
  2. ^ Silence in castle to honour First World War conscientious objectors dated 25 June 2013 at thenorthernecho.co.uk, accessed 19 October 2014
  3. ^ ‘ROWNTREE, Arnold (Stephenson)’, Who Was Who, A & C Black, an imprint of Bloomsbury Publishing plc, 1920–2007; online edn, Oxford University Press, Dec 2007 accessed 15 Jan 2014
  4. ^ Directors past and present (October 2008)”. Joseph Rowntree ReformTrust. 2009年4月2日閲覧。


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