アントニオ・ディ・ナターレ アントニオ・ディ・ナターレの概要

アントニオ・ディ・ナターレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 18:32 UTC 版)

アントニオ・ディ・ナターレ
2012年のディ・ナターレ
名前
愛称 トト
ラテン文字 Antonio Di Natale
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1977-10-13) 1977年10月13日(46歳)
出身地 ナポリ
身長 170cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MFAM[1]
FWSSCFLWG[1][2]
利き足 右足
ユース
1994-1996 エンポリ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2004 エンポリ 158 (49)
1997-1998 イペルゾラ (loan) 33 (6)
1998 ヴァレーゼ (loan) 5 (0)
1998-1999 ヴィアレッジョ (loan) 25 (12)
2004-2016 ウディネーゼ 385 (191)
代表歴
2002-2012 イタリア 42 (11)
監督歴
2021-2022 カッラレーゼ・カルチョ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

現役引退時のプロフィールは身長170cm・体重73kgだが、エンポリFC時代は身長177cm・体重70kgとなっていた。

2009-10シーズン2010-11シーズンのセリエA得点王。

経歴

クラブ

ナポリで生まれ育つ。SSCナポリで活躍したディエゴ・マラドーナが子どもの頃のアイドルであった[3]。8歳でサッカーを始め、カステル・チステマを経て、14歳のときにエンポリFCに入団した[3]。1996-97シーズンにセリエBでプロデビューを果たしたが、このクラブには同郷であり幼少時代からの親友のヴィンチェンツォ・モンテッラルカ・トーニも在籍していた。

その後は出番に恵まれず、セリエAに昇格したエンポリを出てセリエC1-C2をレンタルで渡り歩く苦労の日々を過ごすが、1998-99シーズンはセリエC2のACヴィアレッジョにレンタル移籍し、12得点を決める活躍を見せた。1999-2000シーズンに再びセリエBに降格していたエンポリへ復帰するとレギュラーの座を獲得し、2001-02シーズンには38試合16得点の活躍でセリエA昇格の原動力となった。24歳にしてトップリーグの地を踏んだ2002-03シーズンも開幕戦でコモを相手に初出場初得点を挙げるとレッジーナ戦ではハットトリック、シーズン通算27試合に出場し13得点をあげた。

2003-04シーズンにエンポリは降格し、ウディネーゼへ移籍。

2004-05シーズンの4位に貢献し、2005-06シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに初出場。2007-08シーズンは自身最多となる17得点を記録。

2009-10シーズンは得点を量産。2010年にはユヴェントスからオファーを受けたがウディネーゼ残留を決断[4]。5月9日のASバーリ戦でセリエA通算100得点を達成。最終的に29得点で初の得点王(2位に7ゴール差)となり、またオリバー・ビアホフのクラブ最多得点記録を更新した。この活躍でオスカル・デル・カルチョのイタリア人サッカー選手賞を受賞した。

2010-11シーズンは開幕から3ヶ月で2得点と不調が続いたが、11月14日のレッチェ戦でハットトリックを達成すると本来の得点感覚を取り戻し、ウディネーゼが13試合連続無敗を続けている間、15得点を記録[5]。3度のハットトリックを挙げるなど、通算28得点で2年連続の得点王を獲得し、ウディネーゼのチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献した[5]

2012-13シーズンもセリエAで23ゴールを決める活躍を見せ、2013年ミランが獲得に動くが、ウディネーゼでの引退を希望していた為、オファーを拒否した[6]

2014年1月6日、2013-14シーズン限りでの現役引退を表明したが[7]、シーズン終了直後に撤回した[8]

引退撤回後の2014-15シーズンでも以前と同じようにゴールを量産し、2014年11月23日にはセリエAで7人目のリーグ通算200ゴールを達成[9]

2015-16シーズンにはシリル・テレオードゥバン・サパタとのポジション争いで劣勢に立たされ、シーズン途中に再び現役引退について言及[10]。2016年5月15日に行われたリーグ最終節・カルピFC戦では79分にPKを決め、最後の試合を自らのゴールで飾り[11]、シーズン終了後に現役を引退した。

代表

イタリア代表ではジョバンニ・トラパットーニ監督時代の2002年11月20日の親善試合・トルコ戦でデビュー。2004年2月11日のチェコとの親善試合で代表初得点を挙げた。背番号10番を背負った経験もあるが、同じポジションにアレッサンドロ・デル・ピエロが君臨していたため構想から外れ、EURO2004のメンバーからは落選した。監督がマルチェロ・リッピに変わると招集されることは少なくなり、W杯ドイツ大会のメンバーにも落選した。

しかし、W杯優勝を果たしたリッピが勇退し、ロベルト・ドナドーニが監督に就任すると再び代表に返り咲く(ディ・ナターレはセリエAにデビューした頃「ドナドーニの再来」と称されていた。ドナドーニも現役時代はイタリアを代表する名ウインガーであった)。そしてEURO2008予選のウクライナ戦でデル・ピエロと交代でピッチに立つと、実に9年ぶりに同じチームでプレーしたトーニへのクロスでアシストを記録し、続くジョージア戦ではスターティングメンバーに入り、再びアシストを記録する。翌月の親善試合では代表デビューの相手でもあったトルコとの試合にスタメン出場し、得点を挙げた。

2009年11月18日の親善試合・スウェーデン戦では、キャプテンのファビオ・カンナヴァーロや副キャプテンのジャンルイジ・ブッフォンが欠場したことから初めてイタリア代表のキャプテンとして試合に出場した[12]

2010年のW杯南アフリカ大会では、代表入りし背番号10番で出場した。グループリーグ第3戦のスロバキア戦で得点を挙げたもののイタリアは敗れ[13]、グループリーグ敗退となった。

EURO2012にも代表メンバー入り、グループリーグ初戦のスペイン戦で先制点を挙げるなど、イタリア代表の決勝進出を支えた。

監督

2021年4月11日、カッラレーゼ・カルチョの監督に就任した[14]

2022年7月11日、カッラレーゼ・カルチョの監督を退任したと発表された[15]

人物

2010年にはセリエAのフェアプレー賞を受賞。フランチェスコ・グイドリンは「マナーとプロ意識において、全ての選手の模範である」とディ・ナターレの人格を賞賛している[5]


  1. ^ a b c Antonio Di NataleRepubblica。2024年3月3日閲覧
  2. ^ a b “アントニオ・ディ・ナターレ”. ゲキサカ. https://web.gekisaka.jp/player/?22834-195-eup 2024年3月3日閲覧。 
  3. ^ a b 「遅咲きの仕事人」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2008年5月1日号、46-49頁
  4. ^ コリエレデッロスポルト 2011年
  5. ^ a b c Goal.com50:アントニオ・ディ・ナターレ(25位) - Goal.com 2011年8月7日
  6. ^ Goal.com 2013.6月
  7. ^ ディ・ナターレ、今季限りでの引退表明 - Goal.com 2014年1月7日
  8. ^ 最終戦でハットトリック!ディ・ナターレは現役続行へ! Qoly.jp
  9. ^ ディ・ナターレ、通算200ゴールを達成「天国の両親に感謝する」 - サッカーキング 2014年11月24日
  10. ^ ディ・ナターレが現役引退か 「若手に場所を譲るのが正しい」 - Goal.com 2016年3月10日
  11. ^ 最終戦でPK弾…38歳ディ・ナターレが現役引退へ、指揮官転身は否定 - サッカーキング 2016年5月16日
  12. ^ 初のキャプテンマークの感動を語るディ・ナターレ Goal.com
  13. ^ World Cup 2010: Italy exit as Slovakia turf out reigning champions”. The Guardian (24 June 2010 |). 2017年5月28日閲覧。
  14. ^ “元伊代表FWディ・ナターレ、セリエCのカッラレーゼ監督に就任!”. 超ワールドサッカー. (2021年4月22日). https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=394884 2021年11月9日閲覧。 
  15. ^ “ディ・ナターレ、セリエCのカッラレーゼ監督を退任…”. 超ワールドサッカー. (2022年7月11日). https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=422126&page=0 2022年7月12日閲覧。 


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