アドマイヤベガ
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デビューまで
誕生までの経緯
父トニービンのベガは、社台ファーム創業者吉田善哉の妻吉田和子が所有した牝馬である[6]。1993年に競走馬としてデビューし、武豊が騎乗して「2戦目の新馬戦」とチューリップ賞を連勝[7]。そして臨んだ桜花賞レース直前、その姿に心奪われていた冠名「アドマイヤ」を用いる馬主近藤利一が、和子の次男吉田勝己に対して「ベガを、いまレース前に1億円で譲ってくれませんか」と要求していた[8][9]。勝己は「いやあ、これは母の馬ですから」と拒否したが、近藤は引き下がらず「それなら、ベガの仔を私に売ってください。約束ですよ。」と交渉していた[8][9]。
その桜花賞を優勝した後、和子の長男吉田照哉は、ベガの次走を牝馬限定のクラシックである優駿牝馬(オークス)ではなく、主に牡馬が揃う東京優駿(日本ダービー)とすることを予告する[10]。社台にとっては1983年、シャダイソフィア以来の桜花賞優勝馬のダービー参戦[注釈 1]であり、照哉は「シャダイソフィアの時[注釈 2]とは意味合いが違うよ[10]」ともちらつかせていた[10]。
しかし、主戦の武が騎乗したナリタタイシンが皐月賞を制し、ダービー続投が濃厚になったこと、社台生産馬が多数ダービーに出走すること[注釈 3]から、参戦を断念[12]。結局、型にはまって優駿牝馬を選択して優勝し、史上9頭目[注釈 4]の牝馬クラシック二冠を果たした[13]。ベガは翌1994年も現役を続行したが、夏の宝塚記念直後に左前脚の指骨骨折を発症しそのまま引退となる[14]。その翌年の1995年から、ノーザンファームにて繁殖牝馬となった[6]。初年度の交配相手には、初年度産駒フジキセキやジェニュインなどがクラシックで活躍中のサンデーサイレンスが選ばれる。種付けには人間を手こずらせたが、受胎を果たす[15]。しかし受胎したのは双子であり、誕生までに片方が取り除かれている[16][17]。
幼駒時代
1996年3月12日、北海道早来町のノーザンファームにて、ベガの初仔(後のアドマイヤベガ)が誕生する。母は授乳が、仔は乳飲みが上手だった[15]。仔は放牧地の雪の上では人間の手がなくとも正しく立ち「手間のかからない仔[15]」だったという。初仔は、前出の桜花賞の件のおかげもあり、ほどなく近藤の所有が決定する。近藤は、十数年の関係にある栗東トレーニングセンター所属の調教師橋田満に声を掛けて、橋田厩舎への入厩が内定する[18]。
初仔には、近藤の冠名「アドマイヤ」に母名の「ベガ」を組み合わせた「アドマイヤベガ」という競走馬名が与えられた。母ベガを吉田和子が所有するきっかけとなったのは、前脚が内側に曲がっていたことだったが、仔も前脚が同様に曲がっていた[19][20]。ただし曲がり具合は、仔の方が小さかった[21]。また初仔のために体は小さく、橋田によれば「サンデーサイレンスの仔は骨太には出ない(中略)が、それにしても小ぶりで華奢[8]」だったという。ただし少し曲がった脚を持つアドマイヤベガにとって、小ぶりな馬体は脚への負担が小さくなるという点で都合が良かった[22]。ゆえに、母が苦しんだ自らとの戦いをせずに済んでいた[22]。
アドマイヤベガは、ベガの初仔という血統背景から牧場内での期待も高かったが、生後1か月に検分した橋田によれば「普通の馬」であった[18]。牧場でも同様に、注目を集めるというほどでもなかった[21]。ベガと再会するためにノーザンファームを訪れた武は、ついでにアドマイヤベガを見た際「犬か鹿のような」と感じたという[23]。加えて調教過程に入っても、特筆するタイムを叩き出すわけでもなく、ノーザンファーム場長の秋田博章によれば「とにかく平凡な馬[24]」だった[21]。しかし2歳9月になって育成牧場へ移り、本格的な調教に乗り出すと、担当の日下和博が騎乗した初日に「軽自動車と最高級車の違いというか。とにかく体全体がヤワい(中略)バネがあって、いくら乗っていても疲れない。この仕事に就いて10年目になるんですが、初めてといっていい体験[24]」と振り返るほどの乗り味の良さを感じ取っていた[24]。さらにメリハリが利く頭の良さもあったと認めている[24]。
育成段階では、擦り傷を一つも作らなかったなどアクシデントとは無縁の牧場時代を送った[24]。3歳、1998年は猛暑だったため、アドマイヤベガは夏は北海道に留め置かれ、夏が過ぎた秋の9月5日に栗東の橋田厩舎に入厩する[23]。橋田は2歳までのアドマイヤベガを、馬体のバランスが悪いとして高く見込んでいなかった。しかし牧場で調教が進むにつれて、馬体が良化、後に「あの馬がよくなったのは3歳になってから[18]」だったと振り返っている。
橋田厩舎の管理馬では、サイレンススズカに続いて2頭目となるサンデーサイレンス産駒が、アドマイヤベガだった[18]。アドマイヤベガの2歳年上サイレンススズカは、1998年10月まで6連勝中、重賞5連勝中であり、宝塚記念や中山記念、金鯱賞、毎日王冠を優勝する厩舎のエースだった。橋田はサイレンススズカとアドマイヤベガの比較について「とてもきれいな馬で、産まれた時から特別な雰囲気を漂わせていたサイレンススズカなどは、むしろ例外的な存在(中略)その意味でアドマイヤベガは、典型的なサンデー(サイレンス)の仔という感じでしたね[18]」と述べている。アドマイヤベガの主戦騎手には、母ベガの主戦騎手であり、連勝中サイレンススズカの主戦騎手でもあった武が起用される。武の起用は2歳の頃から決まっていたという[25]。
トレーニングセンターでの調教では、平凡な内容だった[18]。橋田によれば、「高いレベルのなかでの並。高級料理店で出てくる並の料理のようなもの[18]」だったという。しかし橋田はアドマイヤベガに潜在する能力があると確信し、クラシックで活躍する器だと認識するようになる[18]。そこで、翌春のクラシックに余裕を持って臨めるようなローテーションを設定した[23]。具体的には、3歳の11月7日の新馬戦でデビューさせて優勝し、12月5日のエリカ賞で500万円以下を連勝で突破しよう、それから暮れのラジオたんぱ杯3歳ステークスで優勝し、十分な賞金を得て3歳のうちにクラシック戦線に加わろう、と目論んでいた[23][26]。
アドマイヤベガの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | サンデーサイレンス系/ヘイロー系 |
[§ 2] | ||
父 *サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
父の父 Halo1969 黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason 1958 |
Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Cosmah 1953 |
Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Wishing Well1975 鹿毛 アメリカ |
Understanding 1963 |
Promised Land | ||
Pretty Ways | ||||
Mountain Flower 1964 |
Montparnasse | |||
Edelweiss | ||||
母 ベガ 1990 鹿毛 北海道早来町 |
*トニービン Tony Bin 1983 鹿毛 アイルランド |
*カンパラ 1976 |
Kalamoun | |
State Pension | ||||
Severn Bridge 1965 |
Hornbeam | |||
Priddy Fair | ||||
母の母 *アンティックヴァリューAntique Value 1979 鹿毛 アメリカ |
Northern Dancer 1961 |
Nearctic | ||
Natalma | ||||
Moonscape 1967 |
Tom Fool | |||
Brazen | ||||
母系(F-No.) | アンティックヴァリュー系(FN:9-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Almahmoud4×5 | [§ 4] | ||
出典 |
注釈
- ^ ミスターシービーに3秒後れを取る17着敗退。
- ^ 詳細は、シャダイソフィア#3-4歳時(1982-1983年)
- ^ シクレノンシェリフ、ステージチャンプ、ガレオン、ラリーキャップの4頭。最高は、BNW(ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシン)に次ぐ4着となったガレオン[11]。
- ^ 1952年スウヰイスー、1954年ヤマイチ、1957年ミスオンワード、1964年カネケヤキ、1975年テスコガビー、1986年メジロラモーヌ、1987年マックスビューティ[13]。
- ^ 例えば、同期で橋田近藤タッグのアドマイヤコジーンは、アドマイヤベガを考慮して使い分けを行い、朝日杯3歳ステークスへの出走していた。
- ^ 残る1票は該当なし[31]。
- ^ 1位入線4着降着
- ^ 共にオーストラリアG3。
出典
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- ^ “アドマイヤベガの血統表”. netkeiba.com. 2022年11月3日閲覧。
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