アッバース朝 軍事

アッバース朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 18:18 UTC 版)

軍事

当時のバグダードの俯瞰図

首都バグダードはペルシアの円型要塞を参考にして建造されており、3重の頑丈な城壁に囲まれていた。基部の厚さ32メートル、高さ27メートルとされる巨大な主壁の内部には、100平方メートル近い広さを有する金曜モスク、高さ50メートルに及ぶ緑の巨大なドームに覆われた豪華なカリフの宮殿があった。主壁の内側と外側には鉄製の巨大な扉が設けられ、4000名の近衛軍が配置された。

アッバース朝は月給をもらう常備軍を備えた国家であった。貴族や封建騎士ではなく、官僚と常備軍に支えられた国家とは、近代ヨーロッパが理想とした国家であり、ヨーロッパではようやく19世紀になって実現した。アッバース朝はそのような体制を8世紀には実現していた。[4]

アッバース朝では中央アジアの遊牧トルコ人との交易が盛んになって以降、マムルークと呼ばれる軍事奴隷の取引が盛んになった。優れた騎馬技術を持つトルコ人の青年は、購入後に一定のイスラム教育を施され、シーア派の台頭で混乱に陥った帝国の傭兵として利用された。マムルークはカリフを初めとする各地の支配者の近衛軍になった。アッバース朝のマムルークの数は7万人から8万人に達し、俸給の支払いが帝国財政を圧迫するようになった。

交通

アッバース朝の大商圏を支えたのが、バグダードから伸びるホラーサーン道、バスラ道、クーファ道、シリア道の4つの幹線道路で、それぞれがバリード(駅逓)制により厳格に管理されていた。中央と地方の駅逓局が管理する道路は、幹線を中心に数百に及んでいたとされ、道路に沿い一定間隔で設けられた宿駅にはラクダ、ウマ、ロバなどが配置され、公文書の伝達が行われた。緊急の場合は伝書鳩も使われたという。道路上を公文書が行き交っただけでなく、各地の駅逓局が積極的に情報収集を行い、官吏の動静から穀物物価に至るまで種々の情報を定期的に中央政府に提供した。バグダードの駅逓庁には各地の物産、民情、租税の徴収額、官吏の状況などの膨大な情報が集められ、帝国内部の各駅までの道路案内書も作られた。そうした情報はカリフだけでなく、商人や旅行者、巡礼者も利用することができた。

農業

アッバース朝ではユーラシア規模の農作物の大交流が進み、インド以東、アフリカの農産物がイスラム圏に広がった。南イラクではアフリカ東岸から連れてこられたザンジュと呼ばれる黒人奴隷を利用し、商品としての農作物が大量に栽培された。伝統的な農作物に加えて、米、硬質小麦、サトウキビ、綿花、レモンなどのインド伝来の栽培植物の栽培が進められた。技術面ではイラン高原のカナート(地下水路)を用いた砂漠、荒地の灌漑方法が西アジアから北アフリカ、シチリア島、イベリア半島に広まり、農地面積が著しく拡大した。農業の振興がイスラム諸都市の膨大な人口を支えた。


  1. ^ 宮崎正勝『イスラム・ネットワーク アッバース朝がつなげた世界』1994年
  2. ^ 小杉泰『イスラーム世界のジハード(興亡の世界史 第6巻)』講談社、 2006年11月17日第1刷、p203-205
  3. ^ 佐藤次高 『マムルーク』 東京大学出版、 P148、P176
  4. ^ 佐藤次高、鈴木薫編 『都市の文明イスラーム』1993年
  5. ^ 宮崎正勝『知っておきたい「お金」の世界史』2009年
  6. ^ 長澤和俊『シルクロード』講談社、1993年8月10日第1刷、p315
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 三村太郎「イスラーム科学とギリシア文明」『岩波講座 世界歴史 08』岩波書店、2022年、267-285頁。ISBN 978-4-00-011418-9 
  8. ^ a b c d e f 矢島祐利「イスラム科学の発展過程の一考察」『アラビア科学史序説』岩波書店、1977年。 NCID BN01281079全国書誌番号:77018899https://id.ndl.go.jp/bib/000001338890 
  9. ^ a b c d e f 大月康弘; 清水和裕「ユーラシア西部世界の構成と展開」『岩波講座 世界歴史 08』岩波書店、2022年、003-076頁。ISBN 978-4-00-011418-9 
  10. ^ a b Sourdel, D. (1960–2005). "Bayt al-Ḥikma". The Encyclopaedia of Islam, New Edition. Leiden: E. J. Brill.
  11. ^ Balty-Guesdon, M.-G. (1992-07). “Le Bayt al-ḥikma de Baghdad”. Arabica 39 (2): 131-150. https://www.jstor.org/stable/4057057. 
  12. ^ Sourdel, Dominique. "al-Maʾmūn". Encyclopedia Britannica, 1 Jan. 2023, https://www.britannica.com/biography/al-Mamun. Accessed 16 March 2023.
  13. ^ a b c 五十嵐一「イスラームの美学思想」『講座美学1―美学の歴史』東京大学出版会、1984年、297-309頁。ISBN 4-13-015031-6 
  14. ^ 五十嵐一『知の連鎖―イスラームとギリシアの饗宴』勁草書房、1983年、3-4頁。 
  15. ^ a b c d e シンメルアンネマリー『岩波講座東洋思想第四巻イスラーム思想2』岩波書店、1988年、50-84頁。 
  16. ^ a b c 佐藤次高「イスラーム国家論」『岩波講座世界歴史10イスラーム世界の発展』岩波書店、1999年、3-70頁。 
  17. ^ a b c d e f van der Meer, Annie (2000), “THE HARRAN OF THE SABIANS IN THE FIRST MILLENNIUM A.D.; CHANNEL OF TRANSMISSION OF A HERMETIC TRADITION?”, 18th World Congress of the International Association of the History of Religion, Durban/Zuid-Afrika 
  18. ^ a b c アンリ・コルバン 著、黒田壽郎柏木英彦 訳『イスラーム哲学史』岩波書店、1974年。 
  19. ^ a b 江原, 聡子, 2021, イスラーム期における都市ハランの宗教 : イブン・アン = ナディームの『目録の書』を中心に: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部アジア地域文化研究会, 101–133 p.
  20. ^ a b c d 菊地達也『イスラーム教「異端」と「正統」の思想史』(講談社、2009年)
  21. ^ 宮崎正勝『世界史の誕生とイスラーム』2009年






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