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李炳三

(Ri Pyong-sam から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 08:03 UTC 版)

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李炳三
리병삼
生年月日 1943年
出生地 日本統治下朝鮮平安南道
出身校 金日成軍事総合大学
所属政党 朝鮮労働党
称号 労力英雄

当選回数 2回
在任期間 1998年9月 - 2009年3月
最高指導者 金正日1994年 - 2011年

朝鮮労働党中央委員会政治局委員候補
在任期間 2012年4月 - 不明

在任期間 2010年9月 - 不明

朝鮮人民内務軍政治局局長
在任期間 2010年4月 - 2014年4月

人民保安省政治局局長
在任期間 2009年9月 - 2010年4月
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李炳三
各種表記
ハングル 리병삼
漢字 李炳三
発音 リ・ビョンサム
英語表記: Ri Pyong-sam
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李 炳三(リ・ビョンサム、朝鮮語: 리병삼1943年 - )は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮労働党中央委員会政治局委員候補、朝鮮人民内務軍政治局局長、人民保安省政治局局長などを歴任した。朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は上将。

経歴

1943年日本統治下の平安南道に生まれた。金日成軍事総合大学を卒業した[1]1992年朝鮮人民軍中将に昇進し[1]1998年最高人民会議第10期代議員に選出された[1]1999年に上将に昇進し[1]2009年人民保安省政治局局長に就任した[1]2010年4月には朝鮮人民内務軍政治局局長に転じ[1]、同年9月28日に開催された朝鮮労働党第3回党代表者会で、朝鮮労働党中央委員会委員に選出された[1][2]2011年金正日総書記死去した際には、国家葬儀委員会委員に選ばれた[3]2012年4月11日に開催された第4回党代表者会で、朝鮮労働党中央委員会政治局委員候補に選出された[4]2014年4月に朝鮮人民内務軍政治局長を解任された[5]。前年12月張成沢国防委員会副委員長が粛清されたことに関連があるとされる[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 리병삼 李炳三북한지역정보넷
  2. ^ 北노동당 중앙위원 및 후보위원 명단 聯合ニュース 2010年9月29日
  3. ^ 北, 장의위원회 김정은 등 232명 구성 デイリーNK 2011年12月19日
  4. ^ 「金正恩、党軍事委員長・政治局常務委員に就任」 デイリーNK 2012年4月12日
  5. ^ a b 북한 인민내무군 정치국장 강필훈으로 교체 デイリーNK 2014年4月13日

参考サイト

북한정보포털

  朝鮮民主主義人民共和国
先代:
朝鮮人民内務軍政治局局長
2010年 - 2014年
次代:
姜必勲
先代:
池永春
人民保安省政治局局長
2009年 - 2010年
次代:



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