NBA時代略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 02:26 UTC 版)
1950年にシャーマンはワシントン・キャピトルズに入団しNBAでデビューする。翌1951年にボストン・セルティックスに移籍し、ボブ・クージーとバックコートプレイヤーとしてコンビを組む。 50年代後半にはセルティックスは黄金期を迎えつつあり、レッド・アワーバックヘッドコーチの指揮の下、1956-57、1958-59、1959-60、1960-61シーズンとNBAファイナル優勝を果す。シャーマンはシュート力のあるガードとしてセルティックスの黄金期を支えた。特にフリースローの成功率は極めて高く、93.2%の成功率を記録したシーズンもあった。通算でもフリースロー成功率88.3%、フィールドゴール成功率42.6%という記録を残している。 また、1950年から1955年まではプロ野球のマイナーリーグ、ブルックリン・ドジャースにも所属し、プレーしていたという異色な経歴を持っている。1961年に引退するが、NBAファーストチーム選出4回、セカンドチーム選出3回を数えた。NBAオールスターゲーム選出は8回に及び、1955年にはオールスターMVPに輝いている。 1976年に選手として殿堂入りを果した。また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出されている。
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