パラメスヴァラヴァルマン1世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > パラメスヴァラヴァルマン1世の意味・解説 

パラメスヴァラヴァルマン1世

(Jaya Paramesvaravarman II から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 14:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ジャヤ・パラメーシュヴァラヴァルマン2世
जय परमेश्वरवर्मन् २
第12王朝
後期初代国王
国号 チャンパ王国
王朝 第12王朝
在位期間 1220年 - 1253年
姓・諱 アンシャラージャ
生年 不詳
没年 不詳
ジャヤ・ハリヴァルマン2世
后妃 博拉吉

ジャヤ・パラメーシュヴァラヴァルマン2世サンスクリット語: जय परमेश्वरवर्मन् २, ラテン文字転写: Jaya Parameśvaravarman II, 生没年不詳)は、チャンパ王国占城国)第12王朝の後期初代国王(在位:1220年 - 1253年)。初名はアンシャラージャサンスクリット語: अंशराजा, ラテン文字転写: Angśarāja)。『大越史記全書』では布耶羅ベトナム語: Bố Gia La)と記される。

生涯

ジャヤ・ハリヴァルマン2世中国語版の長男[1]で、トゥライ=ヴィジャヤの出身。クメール宮廷において国王ジャヤーヴァルマン7世の元で成長し[1]1201年にジャヤーヴァルマン7世からユーヴァラージャ英語版に任じられた[2]1203年クメールによるチャンパ支配クメール語版が始まるとチャンパに戻り、その支配の一端を担った[2]

1207年にはビルマ人シャム人を含めたクメール軍を率いて李朝大越と戦った。1216年1217年にも乂安に侵攻したが、州伯の李不染に撃退された[3]。ジャヤーヴァルマン7世没後[4]1220年[5]にクメール軍がチャンパから撤退する[6]と即位した[4][7][8][9]。その治世の大半は灌漑事業の復旧とクメールとの戦争で損壊した寺院の再建に費やされた。ヤンプナガラポー・ナガル塔英語版に代表される南部カウターラ中国語版にあったリンガ英語版や、アマラーヴァティー中国語版にあるシュリーシャーナバドレーシュヴァラの復興に尽力した[7]。ジャヤ・パラメーシュヴァラヴァルマン2世の統治の間、チャム芸術英語版ビンディン様式フランス語版クメール芸術英語版の影響を受けていることが指摘されている[2]

北の大越に対して幾度も朝貢しながらも、李朝の衰退に乗じて大越沿岸部でたびたび劫掠を行ってきたが、これに対して李朝に代わった陳朝皇帝の太宗から宣諭を受けると、ルドラヴァルマン3世の代に割譲して以降、両国の間で長年係争の種になっていた旧チャンパ領の地哩ベトナム語版麻令ベトナム語版布政ベトナム語版の北部3州の返還を大越に対して求め[7]、これらを窺う姿勢を見せた。1252年、怒った太宗が親征する大越軍の侵攻を招き[10]、ジャヤ・パラメーシュヴァラヴァルマン2世は妃の博拉吉や妾、多くの重臣と共に捕虜となって[4][7]北に連行された。

出典

  1. ^ a b Cœdès 1968, p. 181
  2. ^ a b c Cœdès 1968, p. 171
  3. ^ 桃木 1987, p. 407
  4. ^ a b c 桜井由躬雄 「南シナ海の世界」 『東南アジア史 I 大陸部』、73頁。 
  5. ^ コイ 2000, p. 62
  6. ^ Cœdès 1968, p. 180
  7. ^ a b c d Cœdès 1968, p. 182
  8. ^ Hall 1981, p. 207
  9. ^ Lockhart & Phương 2011, p. 179
  10. ^ 桃木 1992, p. 467

参考資料

先代:
(クメールによる支配)
チャンパ王
第12王朝後期初代:
1220年 - 1253年
次代:
ジャヤ・インドラヴァルマン6世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

パラメスヴァラヴァルマン1世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パラメスヴァラヴァルマン1世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパラメスヴァラヴァルマン1世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS