国鉄EF63形電気機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 13:29 UTC 版)
国鉄EF63形電気機関車(こくてつEF63がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流電気機関車である。信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車として開発された。用途から「峠のシェルパ」、もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称がある。
注釈
- ^ 新線が一部開通してから旧線が廃止されるまでのごく短期間に600V区間を走行している。[1]
- ^ 運用終了後、碓氷峠鉄道文化むらでの運転体験線で使われてる電圧。[2]
- ^ その後の改良品の登場については後述の製造時期別詳説を参照のこと。
- ^ 大宮工場(現在は大宮総合車両センター)への検査入場などで高崎線・信越本線高崎 - 横川間を走行する際は、デッドウェイトを外すなどの措置が必要となる。
- ^ KE77A形はKE63形の改良タイプで、共に定格電圧100V 27芯で互換性がある。
- ^ 後にEF64にも採用。
- ^ 製造当初は直径300mm、機器更新時に340mmへ変更。
- ^ 連絡回線用。
- ^ 後に181系・185系との連結にも使用。
- ^ 当初は80系用KE53形を装備。
- ^ 2・14・15・16・17はキハ82系運転終了に伴い撤去。
- ^ 軽井沢方へは逆向き推進運転となる。
- ^ ただしクハ180・クハ489-500は自動連結器を装備・使用。
- ^ これらの技術は2020年現在もJR東日本の総合車両製作所新津事業所で製造された電車を各車両基地への配給運搬や廃車や工場入出場への回送などに充当される長岡車両センター所属のEF64、長岡車両センター・田端運転所・秋田総合車両センター南秋田センター所属のEF81、かつて宇都宮運転所所属で大宮総合車両センターで入替作業に充当されていたDE11 1031・1035(DE11は、いずれも廃車)などに装備される双頭連結器に応用された。
- ^ 本形式に装備される自連・密連両用連結器の密着連結器にはMRP管(元空気溜管)は装備されない。これは協調/牽引・推進を問わずブレーキの制御指令は本形式から行うとともに自動空気ブレーキ動作に必要な空気圧は電車・気動車側に搭載する空気圧縮機から供給されるためである。
- ^ 協調運転対応形式であっても8両編成以下の列車は、従前どおり牽引・推進での運転とされた。
- ^ MC35A形主幹制御器左側に装備される逆転機スイッチには前進・後進それぞれに力行・発電ブレーキ位置がある。
- ^ 川崎電機製造は1968年に富士電機に、川崎車輛は1969年に川崎重工業にそれぞれ合併された。
- ^ 1 - 13が当初備えていた赤色円板も順次撤去された。
- ^ 18・19も1972年の全般検査実施時に主電動機送風機を低騒音化品に交換したが、18は4基のうち1基のみ既存品続投としたため僅かながら高い音も発生する。
- ^ 165系10両編成との下り勾配試験運転中に非常ブレーキを作動させたところ、機関車次位のクモハ165の車体後部が浮上し車体と台車が分離した。そのため8両までの連結両数と空気バネパンクの制約が決定。
- ^ 新線開業直後の1963年10月1日以降3回にわたり2段リンク式足回りを持つ緩急車の脱線事故が発生し、検証の結果大きな横圧が発生することが判明したことからヨ3500形の限定使用となった。
- ^ 当該区間で営業運転に投入されたのは80系のみ。
- ^ キハ57系による定期列車の運転は1966年9月30日までの「妙高」1往復、キハ82系では1965年10月1日のダイヤ改正以前が「白鳥(信越白鳥)」で、以後が1969年9月30日まで「はくたか」で運転。
- ^ 後に長野へ移管。
- ^ 2020年現在は大宮総合車両センターに配置。
- ^ 本形式の当初投入数の倍以上であるが、これは本形式が2両1組で使用されたのに対し、ED42は列車1本につき4両が使用されたためである。
- ^ 廃止時点で本形式と共に当区間を通過した定期列車は、特急「あさま」19往復(189系・489系)・「白山」1往復(489系)、急行「能登」1往復(489系)、普通列車7往復(115系6往復・185系1往復)で、「あさま」は新幹線へ愛称を承継、「白山」は廃止、「能登」は上越線経由に変更。
- ^ この4両は製造当初から国鉄新標準色の青色であったため茶色塗装となったのは初。
- ^ 7種類以上存在し、このうち25号機に関するヘッドマークが数種類も用意された[19]。
- ^ ただし組成順は横川方から19・3の順番であった。
- ^ 翌日の同フェアでは、構内運転「横軽再現体験乗車」が実施された。イベント後の高崎運転所への回送は無動力であった。なお、過去にも大宮工場での検査入出場時には他車入出場の兼ね合いで牽引機として使用される場合も度々あった。
- ^ 1・14共に車両の状態がよくなく1984年から長期休車となっていた。
- ^ 2017年(平成29年)4月2日以降同機は、同センターでともに保管されていたEF62 3[21]と同様に所在が確認されていない。
- ^ 碓氷峠の森公園交流館「峠の湯」付近
出典
- ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1988年4月号 p43
- ^ EF63運転体験 発車式の様子CLUB667、1999年9月1日撮影。2023年12月14日閲覧。
CLUB667は碓氷峠鉄道文化むら公認姉妹ホームページである。[3] - ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '98年版』ジェー・アール・アール、1998年7月1日、182頁。ISBN 4-88283-119-8。
- ^ 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.26頁。
- ^ 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.25頁。
- ^ a b c 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.24頁。
- ^ 『日本の鉄道史セミナー』(p199, p200)
- ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1988年1月号 p47
- ^ 電気車研究会 『電気車の科学』 1963年4月号、1964年9月号
- ^ 『鉄道ジャーナル 特集「列車編成と連結器」』鉄道ジャーナル社、2005年9月。
- ^ Rail Magazine No. 161 1997-2
- ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1988年1月号 p.44 - 45
- ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1988年1月号 p.31
- ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』 1988年1月号 p.44、『鉄道ピクトリアル』 1997年8月号 p.40掲載写真
- ^ a b c 『鉄道ファン』通巻304号、p.65
- ^ 日本国有鉄道 編『最近10年の国鉄車両』交友社、1963年、p.18頁。
- ^ 真宅正博・渡辺登 「信越線横川-軽井沢間の電気機関車と電車との協調運転」 『鉄道ピクトリアル』 No.213 電気車研究会 1968年8月 p.26。
- ^ 『Rail Magazine』153、ネコ・パブリッシング、1996年、p.50
- ^ 『鉄道ファン』1997年12月号、交友社、1997年、p.122
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、126頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ a b 保存情報:笹田昌弘「全カテゴリー保存車リスト」『保存車大全コンプリート 3000両超の保存車両を完全網羅』イカロス出版〈イカロスMOOK〉、2017年7月25日、219頁。
- 1 国鉄EF63形電気機関車とは
- 2 国鉄EF63形電気機関車の概要
- 3 運用
- 4 沿革
- 5 廃車
- 6 参考文献
固有名詞の分類
国鉄・JRの車両形式 | 国鉄DD15形ディーゼル機関車 国鉄モヤ4形電車 国鉄EF63形電気機関車 九州鉄道ブリル客車 国鉄ED24形電気機関車 |
日本国有鉄道の電気機関車 | 国鉄ED76形電気機関車 国鉄ED70形電気機関車 国鉄EF63形電気機関車 国鉄ED40形電気機関車 国鉄ED60形電気機関車 |
東日本旅客鉄道の電気機関車 | 国鉄EF62形電気機関車 国鉄EF60形電気機関車 国鉄EF63形電気機関車 国鉄EF55形電気機関車 国鉄EF64形電気機関車 |
Weblioに収録されているすべての辞書から国鉄EF63形電気機関車を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から国鉄EF63形電気機関車を検索
- 国鉄EF63形電気機関車のページへのリンク