伊達持宗とは? わかりやすく解説

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伊達持宗

(Date Mochimune から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 16:06 UTC 版)

伊達 持宗(だて もちむね)は、室町時代前期から中期にかけての武将地頭[1]官位兵部少輔大膳大夫伊達氏11代当主。


  1. ^ この当時、奥羽両国には守護職はなく、陸奥国には奥州探題が置かれていた。補足事項として、伊達氏が陸奥守護職に補任されたのは持宗の三代後となる伊達稙宗から
  2. ^ 父・氏宗は2代鎌倉公方の足利氏満から偏諱を受けていたが、子である持宗の「持」の字は足利持氏から賜ったものではなく、在京中(持宗は一生涯のうちに二度上洛している)に将軍・義持から1字を受けたという(こちらより)。元々伊達氏は鎌倉公方に対抗的であり、氏宗への「氏」の字の授与も氏満による懐柔策に過ぎなかった。持宗の代でもそれは変わらず、(本文にある通り)持氏と対立する一方で、鎌倉公方と対立する足利将軍家寄りの人物であったと言える。以降、伊達政宗の父・輝宗までの歴代当主は代々、将軍家より偏諱の授与を受けている。(京都扶持衆


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