ビル・アイビーとは? わかりやすく解説

ビル・アイビー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/19 15:36 UTC 版)

ビル・アイビー
グランプリでの経歴
国籍 イギリス
活動期間 1965 - 1969
チーム ヤマハヤワ
レース数 52
チャンピオン 125cc - 1967
優勝回数 21
表彰台回数 42
通算獲得ポイント 267 (302)
ポールポジション回数 N/A
ファステストラップ回数 29
初グランプリ 1965 125cc ダッチTT
初勝利 1966 125cc スペイン
最終勝利 1968 125cc イタリア
最終グランプリ 1969 350cc 東ドイツ
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ビル・アイビーWilliam "Bill" David Ivy, 1942年8月27日 - 1969年7月12日)はイギリスオートバイレーサー。イングランドケント州メイドストーン出身。1967年ロードレース世界選手権125ccクラスチャンピオンである。

経歴

アイビーのレースキャリアは1959年、地元にあったブランズ・ハッチから始まった[1]。グランプリへの初参戦は1965年、125ccと250ccのレースにスポット参戦し、それぞれ4位と3位という好成績を収めた。そして1966年ヤマハワークス・チームから125ccクラスにフル参戦を開始したアイビーは開幕戦のスペインGPでいきなり初優勝を遂げ、この年は更に三つの勝利を重ねるという好調ぶりであった。しかし、スイス人ライダーのルイジ・タベリはシーズン5勝を挙げるというアイビーの上を行く好調ぶりで、アイビーはわずか6ポイント差でタイトルに届かずランキング2位となった。

そして翌1967年、全12戦中8勝を挙げて完全に125ccクラスを支配したアイビーは、2位のフィル・リードに16ポイントの差をつけてタイトルを獲得した[2]。アイビーはこの年、250ccクラスでもフランスベルギーで優勝している[3]

1968年の125ccクラスと250ccクラスは、アイビーとチームメイトのリードが完全にチャンピオンシップをコントロールしていた。ヤマハ・ファクトリーは両クラスのタイトルをより確実なものとするため、リードには125ccクラスタイトルを、アイビーには250ccクラスタイトルを獲らせるよう戦略を立てていた[1]。ところがリードは125ccクラスのタイトルを決めた後、ヤマハのチームオーダーを無視して250ccクラスでもアイビーと同ポイントで並んでしまう。結局チャンピオンはレースの総合タイムによって決定するという判定が下され、その結果タイトルはリードのものとなった。この展開に憤慨したアイビーは、ロードレースから引退して翌年からは4輪のフォーミュラ2に転向することを発表した[4]

1969年、1度は2輪からの引退を発表したアイビーであったが、早々にチェコスロバキアのメーカーであるヤワの誘いによって、今度は350ccクラスのライダーとしてグランプリに戻ってきた。シーズンが始まるとアイビーは2レースでジャコモ・アゴスチーニに次ぐ2位に入るなど、相変わらずの速さを見せた。ところが第5戦東ドイツGPの予選中、パドックに戻るためにヘルメットを脱いでタンクの上に置き、流して走っていたアイビーのマシンのエンジンが突然焼きつきを起こしてしまう[5]。マシンから投げ出されたアイビーは頭部に深刻なダメージを負い、病院で息を引き取った。

アイビーの訃報を聞いたフィル・リードは、前年のアイビーとの確執について関係修復の機会が失われてしまったことを「タイトルは獲ったが友人を失った」と語った[6]

ロードレース世界選手権での戦績

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ポイント 順位 勝利数
1965 125cc ヤマハ USA
-
GER
-
SPA
-
FRA
-
IMN
-
NED
4
DDR
-
CZE
-
ULS
-
FIN
-
ITA
-
JPN
4
6 13位 0
250cc ヤマハ USA
-
GER
-
SPA
-
FRA
-
IMN
-
NED
-
BEL
-
DDR
-
CZE
-
ULS
-
FIN
-
ITA
-
JPN
3
4 16位 0
1966 125cc ヤマハ SPA
1
GER
-
NED
1
DDR
3
CZE
3
FIN
-
ULS
-
IMN
1
ITA
3
JPN
1
40 (44) 2位 4
250cc ヤマハ SPA
-
GER
3
FRA
-
NED
-
BEL
6
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
IMN
-
ITA
-
JPN
-
5 12位 0
350cc ヤマハ GER
-
FRA
-
NED
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
IMN
-
ITA
-
JPN
2
6 11位 0
1967 125cc ヤマハ SPA
1
GER
Ret
FRA
1
IMN
-
NED
2
BEL
-
DDR
1
CZE
1
FIN
2
ULS
1
ITA
1
CAN
1
JPN
1
56 (76) 1位 8
250cc ヤマハ SPA
-
GER
Ret
FRA
1
IMN
-
NED
2
BEL
1
DDR
2
CZE
2
FIN
2
ULS
3
ITA
2
CAN
-
JPN
6
46 (51) 3位 2
1968 125cc ヤマハ GER
Ret
SPA
Ret
IMN
2
NED
-
DDR
2
CZE
Ret
FIN
2
ULS
1
ITA
1
34 2位 2
250cc ヤマハ GER
1
SPA
-
IMN
1
NED
1
BEL
Ret
DDR
1
CZE
2
FIN
-
ULS
1
ITA
2
46 (52) 2位 5
1969 350cc ヤワ SPA
-
GER
2
IMN
-
NED
2
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
-
YUG
-
24 10位 0

脚注

  1. ^ a b Bill Ivy - motorcycle GP rider tribute”. ozebook.com. 2006年11月15日閲覧。
  2. ^ Bill Ivy career statistics at MotoGP.com
  3. ^ ビル・アイビー - ヤマハ発動機企業サイト (更新日不明/2017年4月18日閲覧)
  4. ^ Bill Ivy at Motorsport Memorial
  5. ^ The year 1969”. Racing Memory(フランス語). 2006年11月15日閲覧。
  6. ^ マイケル・スコット『The 500cc World Champions』(ウィック・ビジュアル・ビューロウ発行)ISBN 978-4-900843-53-0






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