アサイラム・レコードとは? わかりやすく解説

アサイラム・レコード

(Asylum_Records から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 08:42 UTC 版)

アサイラム・レコード
創業者 デヴィッド・ゲフィン
エリオット・ロバーツ 
ウェブサイト asylumrecords.com 

アサイラム・レコードAsylum Records)は、デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツにより1971年に設立されたアメリカのレコード会社。

概要

デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツは60年代末頃から、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなどのミュージシャンのマネージメントを行っていた。その中にレコード・デビュー前のジャクソン・ブラウンがいたが、ブラウンはレコード会社となかなか契約を結ぶことができなかった。ゲフィンがアトランティック・レコードアーメット・アーティガンに「ブラウンは金になりますよ」とすすめると、「金なら私は十分にある。どうして君は自分でレコード会社を作らないんだい? そうすれば君自身が金持ちになれるじゃないか」という返事が返って来た。これがきっかけとなりゲフィンは会社を設立することとなった[1]

ゲフィンが最初に声をかけたのは、彼が長い間マネージャーを務めていた友人のローラ・ニーロであった[2][3]。ニーロは一旦承諾したものの、ゲフィンの知らないところでコロムビア・レコードと再契約を交わしてしまう。ゲフィンはニーロの仕打ちに対しショックを受け、何日も泣き暮らしていたという[4][5]

1971年9月15日、アサイラム・レコードから、最初のアルバムであるジュディ・シルの『Judee Sill』がリリースされる。同年10月、グレアム・ナッシュがプロデューサーを務めた「ジーザス・ワズ・ア・クロス・メイカー」がシングルカットされた。レコード番号は「AS-11000」[6]

1973年ニューヨークエレクトラ・レコードと合併し、エレクトラ/アサイラムと社名変更したが、その後もエレクトラとアサイラムは別の事業部として、ニューヨークロサンゼルスで別々にレーベル活動を行っていた。

アサイラムはカントリーロック系、シンガーソングライター系のミュージシャンを多く抱え人気を博したが、それらの音楽が下火となった1980年代には活動が停滞し、1989年にレーベル活動を終了した。アサイラムという名称はその後しばらくの間はカントリーのレーベル名として使われたが、現在はワーナー・ミュージック・グループ内の独立系レーベルの支援を行う部署の名称となっている。

沿革

主なアーティスト

アサイラム・レコードの邦楽アーティスト

1970年代、アサイラム・レコードの配給権を保持していたワーナー・パイオニアにより、同レーベルから発売された邦楽アーティスト。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク





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